辺野古反対闘争のマドンナ島袋文子さんのかじまやーのお祝いが、辺野古ゲート前で行われるため、準備追われるあわただしい一日のスタートとなった。
奇しくもこの日は31年前、3人の米兵による少女強かん事件に対する県民大会から31年目の日であり、10・21反戦デーでもある。軍事基地に翻弄される沖縄の姿が凝縮した日だ。
辺野古へ到着すると、お祝いの看板など会場造りが進んでいた。

一回目の座り込み。かじまやー祝いのため、県外から駆け付けた人など、いつもの水曜日メンバーとは顔ぶれがかなりに変わっていた。
平和を求める元軍人の会日本支部のメンバーという女性。「文子さんの存在にはいつもが励まされてきた。文子さんのお祝いと聞いてぜひ参加したいと大阪からやってきた。自分は文子さんより10歳以上若いが、いつまで活動できるかわからない。文子さんに見習ってまだがんばりたい」





正午前の2回目の座り込みは、かじまやーのお祝いがまだ続いていたため、私はゲート前には行けなかった。祝いの様子は、長くなるので項を改めてお伝えする。
午後3時前、三回目の座り込みの少し前からぽつぽつを雨が降り出した。かじまやー祝いの席から引き続き座り込みに来てくれた方もいて、結構な人数になった。

目の前に一台のレンタカーが停まり、お孫さんを連れたご夫妻が降りてきた。「皆さんがこうして米軍基地に抵抗して闘っていることを、ヤマトの人間として申し訳ないと思っている。今日は沖縄が初めての孫と美ら海水族館に行っての帰り。運よく座り込み時間に出会えてよかった。なかなか沖縄まではこれないが、地元でできることをやっていきたい」と激励の言葉に気持ちが暖かくなった。




カジマヤーの祝いといい、レンタカーから降りての激励の声かけといい、今日は胸が熱くなりような場面の連続で、だんだん雨が激しくなる中での3回目の座り込みも苦にならなかった。