私が平和、我らが未来こそ平和 ~ 11月15日の辺野古

 辺野古へ行く日は、午前4時半から遅くても5時には起床する。身支度を整え弁当を用意して、県庁前から7:00に出発するバスに乗るには、それだけの時間を要するからだ。

 いつもの時間に寝床から出た瞬間、思わず「寒っ!」と声が出てしまった。今季初めてのことである。いよいよ沖縄も冬到来かと、意を決して起き上がった。

 自宅から県庁前のバス乗り場まではモノレールで移動する。車内は、まだ半そでの人もいれば、薄手のダウンの上着を着ている人もいる。季節のわかり目の体感温度は、人それぞれのようだ。私はいつもの辺野古スタイルに、着脱可能な薄手の上着を一枚余分に羽織ってきた。

 午前9時前、1回目の座り込み。今日も多彩な人々が集った。いつものレギュラーメンバーに加えて、茨木、神奈川、北海道、東京からと自己紹介。

 異彩は韓国済州島からの若い女性5人組。先週金曜日から宮古島で開催されたピースキャンプの帰途辺野古に立ち寄り、昨日、今日とゲート前に座り込んでいるとのこと。

 済州島江汀(カンジョン村で米海兵隊基地に反対して闘っている彼女たちは、交流のある島袋文子さんの横で、共に機動隊の排除に最後まで抵抗して粘りを見せた。カメラもOKと笑顔で承諾を得た。さすが!。

「江汀村の海兵隊基地は完成してしまったが、それでも毎日ゲート前で抗議行動を続けている。20年以上も続いている沖縄の闘いは、明日の自分たちの目標である」

「アメリカ人だが、江汀村に住んで6年、自国の軍隊に反対の闘いをしている。基地から出てきた兵士に聞いてみた。本当は戦争に行くの嫌じゃないの?彼らは答えない。昨日も辺野古ゲート前で、機動隊の人に聞いた。本当は米軍基地の建設に反対ではないの?って。それは答えにくい質問だと、彼は答えた。きっと彼には、辺野古新基地に反対している家族がいるのではないかと思った」と。

 「私が平和」と歌い、踊りも披露してくれた。

 帰国のため、この日午前中には辺野古を出る彼女らは、文子さんと再会を約して記念撮影。

 正午前、2度目の座り込み。朝夕は涼しくなっても、日中はやはり日差しが強い。

 一日3回の座り込みで、2度目が一番人数が多くなる。私たちのように早朝から三回目まで参加する人を核に、早朝と二回目の座り込みで帰る人があり、2回目と3回目に座り込む人がいるが、2回目はどのグループもも重なって居るからだ。

 

 今日はみんな粘り強かった。機動隊も排除に手間取り、いつもの2倍くらいの時間がかかっていた。

 

 

紅く熟れた月桃の実が見守る傍らで、曜日名物ランチバイキング。今日も豪華版だ。

 午後3時前、3度目の座り込み。今日は最後まであまり人数が減らなかった。 

 午後5時、那覇へ戻ると、県庁前の県民広場で、イスラエルによるガザ侵攻に抗議する人たちがスタンディングを行っていた。

 沖縄戦の記憶もいまだ消えず、今また軍事要塞化を押し付けられる沖縄の人々にとって、家族を殺され、戦渦の廃墟の中を逃げ惑うウクライナやガザの人々の姿は、「明日は我が身」と実感できる。しばしマイクの声に耳を傾け、激励の声をかけた。

 

2023年11月16日リンクURL