被災地に思いを馳せて ~ 3月11日の辺野古

 震災から9年目の3月11日、辺野古ゲート前の座り込みは、今なお復興途中の被災地に思いを馳せ、1分間の黙祷から始まった。

 黙祷の最中、4年前に尋ねた石巻市大川小学校の廃墟や慰霊碑、バスから降りた道端で測定したらいきなり跳ね上がった放射能測定器の針、自らもまだ仮設住宅に住みながら、辺野古へ来てくださる被災地の方々の姿などが、次々と走馬灯のように脳裏に浮かんだ。「フクシマと辺野古は、一部の人たちの利益にしかならない国策のために翻弄され続けているという意味で、相通ずるものがある。連帯して闘いたい」と彼らは言う。

 

 

 

 

<機動隊の足元に͡͡コスミレの花><テントの中で一本のケイトウがスタッフに守られてぬくぬくと育っていた><赤瓦に楽シーサーのオブジェがかわいい>

 この日は、県外からの参加者も多かった。

  東京近郊の退職教師の会の方々16名。「沖縄支援の旅」は今回で4回目という。代表の方があいさつした。

「昨年、横田基地にオスプレイが配備され、騒音や事件事故が増えている。辺野古は沖縄だけの問題ではないと気付き、今回から”共闘の旅”とツアーの名称を変えて実施している。

 高江、伊江島、宮古、渡嘉敷島をめぐり、今日は辺野古で座り込み、沖縄のことが少しずつ分かってきた。というより、沖縄の状況はいずれ本土にやってくる。いわゆる本土の沖縄化が進んでいることを実感した。横田だけでなく、千葉、岩国と、米軍・自衛隊が一緒になって軍事化が全国に広がっているのを目の当たりにしている。

 毎月1回横田基地の前で集会を行っているが、そう多くの人が参加するわけではない。しかし、基地内のイベント(戦闘機武器などを展示)には2日間で10万人の人が集まる。本土の人間は、基地が戦争をするためにあるんだということがわかっていない。ますます沖縄との共闘が大事になってきている」。

 2回目、3回目の座り込みでは歌自慢、踊り自慢、腕自慢が定番。

 中東・アラブの楽器ダラブッカを演奏する若者は、3年前、世界中を旅する途中で辺野古に出会った。以来毎年座り込みに来ているという。

 イスや隣の人に紐で身体を括り付けて排除に抵抗する女性に、機動隊も手こずる。

 どんなに呼びかけてもマスクをしない帝国警備の警備員たち。会社の方針だという。

「 国民の血税を米軍基地に使うな!税金は被災地の復興に!子どもの貧困対策に!学生の奨学金に使え!」と声を上げた。

 

 

2020年3月12日リンクURL