前夜の最終便で長野・東京から沖縄に戻り、自宅に辿りついたのが午前零時少し前、何とか起きることはできたものの、乗り物酔いと睡眠不足で足元ふらつきながら午前五時前起床、身支度を整えて、いつもの通り辺野古へ向かう。
辺野古へ着くと、今日も嬉しい差し入れが待っていた。バナナと箱いっぱいのシークワーサー。枝付もある。いずれも自宅の庭で育ったもの。
辺野古では、毎日の抗議行動はしんどくても、こうしてそれぞれが持てるものを持ち寄り、お互いに思いやる気持ちがあふれていて、28年も続く闘いの原動力となっている。
いつもの風景で「見飽きた!」という方もいらっしゃるかもしれないが、目をそらさないで見ていただきたい。
この日は、辺野古新基地に反対する市民グループが訴えた「辺野古住民訴訟」の裁判があり、原告適格が認められた辺野古住民が証言をすることになっている。
住民の1人、金城武政さんが裁判の意義などを訴えた。
ほぼ毎月沖縄を訪れ、辺野古へ来て下さる内田雅敏弁護士は「県民投票など、民意を無視した辺野古埋め立て・代執行は憲法違反」と断言した。
私たちと共に座り込み、県警に排除される内田弁護士。
先週に続いてダンプ、ミキサー車の五月雨搬入が続き、だらだらと1時間もかかった。
キャンプ・シュワブの金網の外から見える場所に、ゲート以外に建物は何もなかった。この10年の間に、海側にあった建物がすべて壊され、ゲートの周辺が新築の建物で埋め尽くされた。
10月10日は、沖縄戦米軍上陸の前哨戦・ 那覇大空襲から80年、私の父方の祖父も10・10空襲で亡くなった。