今日(27日)は南城市百名に、もろさわようこさんゆかりの場所を訪ねました。

故・もろさわようこさん(今年2月逝去 99歳)が、沖縄を学ぶ場所として、旧玉城村百名に「歴史をひらく家はじめの家 うちなぁ(現・志縁の苑 うちなぁ)」を開設したのは1994年。(写真は開設当初のうちなぁ)
一周忌にあたる来年3月に、沖縄で偲ぶ会を開催するにあたり、改めてゆかりの地を訪ね、うちなぁ30年の意義を振り返るスタートにしたいと思いました。
旧玉城村は、沖縄開闢の旧跡がたくさんあります。まず訪ねたのは百名海岸。


シラサギ、アオサギが飛び交っていました。

まず、海水浴場として人気のある新原(み―ばる)ビーチから海岸に降り、この岩を境に向こう側が百名(ひやくな)ビーチとなります。

目指すは百名ビーチにある「やはらづかさ」。ここに琉球開闢の祖・アマミキヨが第一歩をしるした地として、沖縄の人たちにとって第一級の聖地となっています。

浅瀬に、ちょこんと顔を出したとんがった小さな岩、これが「やはらづかさ」。ちょうど干潮だったので、行こうと思えばすぐそばまで近づくことが出来ます。少し先に見えるのが、イザイホーで名高い神々の島「久高島」です。


案内版は、海岸に降りる道路側にありました。


次に訪ねたのが、浜川御嶽(うたき)。ニライカナイから百名海岸に降り立ったアマミキヨがしばらく居住した場所とされています。

海岸に降りるために車を停めた新原ビーチの駐車場に向かって、陸地側を戻りながら、次に訪ねたのが、沖縄の稲作発祥の地と言われる「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」。今では田んぼの痕跡は残っていませんが、現在も山から流れ落ちる湧水はきれいで水量も豊富でした。

実は、ここを訪ねたのには意味があって、歴史をひらく家を「百名」に開設するに当たって、もろさわさんは当初「受水走水の家」と命名したのです。建築を始める前に、設計者や地主さんも共に、沖縄式の祈りの儀式も行っています。祈り終わったとたんここから白い鳥が飛び立ち、一同「祈りが通じた」と感動したことを、新垣匡子さんが「沖縄ともろさわようこ」で語っています。
しかし、それが新聞などで報道されたことで、地域の人たちから「このような神聖な場所の名前をつけるとは、お前はいったい何者か?」と批判があり、開設真近になって「うちなぁ」に改めたのでした。




付近は、牧場や二期作米が実った田んぼ、サトウキビ、ラッキョウ畑と、地域の人々のくらしの豊かさがしのばれる風景が広がっていました。道端にバナナが実っていても誰もこっそり持っていく人ようなもいないようです。
およそ1時間の百名散策、命の洗濯になるような豊かな時間でした。

百名ビーチから「うちなぁ」までは、車で5分もかかりません。(現在のうちなぁ)

奥武島の海鮮市場でお弁当を買い、店舗横に設営されたオープンスペースの席で、海を見ながら美味しい海産物(イカ墨汁、魚のあら汁、海鮮丼、お刺身、沖縄天ぷらなど)を堪能したあと、一同衆議院選挙の結果を心配しながら、帰途につきました。