9条の碑シリーズ⑥ ~ 石垣島の9条の碑

 2004年に建立された石垣島の憲法9条の碑はとてもユニークである。

 まず、碑の意匠(デザイン)、二つの石碑(碑文と像)が背中合わせに立っている。そしてその意味するところが深い。ネットで調べると次のような記述があった。

 「沖縄戦において日本の最南端に位置する石垣島の近隣の島々では、日本軍の命によってマラリア有病地帯への強制移住があり3600余の犠牲者を出した悲惨な戦争体験がある。日本の侵略を受けた国々と常に隣接し国境の地に住む島人達は、憲法9条に平和を託するところは大きい。

 人口4万6000余の住む石垣市で、去る6月「憲法九条のの碑」設置市民の会を設立、かつて日本の侵略を受けた中国大陸の石に、平和の誓いである九条を刻み碑とする事を考えた。鳩を刻んだ石(高3.4m)を平和のシンボルとして、今、倒れようとする平和の石を、憲法9条を刻んだ巨石がこれを支える事を意味するデザインとし、現憲法の公布の日である11月3日に序幕した」

 碑の横には建立の主旨を説明する小さな石碑もある。

 そこにはこう記されていた。『憲法9条は、日本の平和及び安全の道標であることを確信している。しかし内外の諸情勢は、いぜん厳しいものがある。よって私たちは迷うことなく「憲法9条の碑」をここに設置し、改めて内外にその意義を闡明(せんめい)にする。

2004年11月3日 憲法9条の碑設置石垣市民の会 デザイン・潮平正道 書・豊平峰雲』

 

<戦争マラリアとは

 第二次世界大戦で、八重山群島では具体的な戦闘行為はなく、戦死者はいないが、マラリアによって多くの住民が命を落とした。それが日本軍の命令による強制疎開(移住)だったことから「戦争マラリア」と呼ばれている。

 日本軍は、①住民が戦闘の足手まといになる、②住民が軍の機密を漏らす可能性がある。③軍の食料調達の観点から、当時マラリア有病地帯と知りながら、住民を石垣島の市街地以北や西表島などへ強制疎開(移住)させた。そのために多くの人々がマラリアに集団罹患し、当時の八重山の人口3万1,671人のうち、実に53.3%の人が発症し、11.5%に当たる3,647人が亡くなった。つまり、戦争中に大流行したマラリアを戦前のマラリアと区別して「戦争マラリア」と呼ぶ。

 死者は、主に10歳以下の幼児と61歳以上の高齢者に多く、また、石垣島の日本軍もキニーネなどの抗マラリア薬の欠乏で、680人の将兵が戦わずしてマラリアによって病死をしている。

2020年5月25日リンクURL