ケラマツツジの咲くころ~渡嘉敷島

25日の日曜日、県外からの友人たちを案内して渡嘉敷島へ行きました。約一月ぶりの渡嘉敷島です。

青く澄んだケラマブルーの海を、友人たちに自慢したかったのですが、あいにくPM2・5の飛来で、天気は晴れなのにかなり濃いカスミがかかって、いまいち海の色が冴えませんでした。

それでも村花でもある「ケラマツツジ」が真紅の花を満開にして、我が友人たちを歓迎してくれました。

実はこの鮮やかなケラマツツジ、3日後(3月28日)に慰霊祭を迎える「*白玉之塔」の参道に咲くケラマツツジです。

これまでこの慰霊祭には何度も参列した私ですが、それがちょうどケラマツツジの咲く季節だったという記憶が、なぜだかありません。今回はじめて気が付きました。

3月下旬の沖縄は春爛漫、山には新緑が萌え、花々が咲き競い、大地から諸々の命が生まれ出る季節なのに、否応なく”集団自決”に追い込まれ、命を絶っていった島の人々が、最後に赤く燃えるケラマツツジを、どんな想いで見つめたのだろうと思うと、胸が詰まります。

朝鮮半島から強制あるいは騙されて連れてこられ、日本軍の”性奴隷”にされた女性たちを記憶する「アリランの碑」の入り口にも、ケラマツツジが咲き乱れていました。

<北山にある国立青少年交流の家の高台から霧にかすむケラマ海峡を望む>

 

白玉之塔:去る大戦で、「死んでも米軍の捕虜にはなるな!」と、皇民化教育で刷り込まれた島の人々が、日本軍から配られた手りゅう弾で、(あるいは鎌や鍬で)家族同士、親戚同士で殺し合った”集団自決”の犠牲者を祀った慰霊碑。当時の島の人口の三分の一に当たる315人が犠牲になった>

2018年3月28日リンクURL

旧盆ウークイ(送り火)

 

ウークイにはたくさんのごちそうをお供えします。ご先祖様ができるだけたくさんお持ち帰りできるようにとの配慮です。お餅に山海の珍味、お中元でいただいた品々もご先祖様への贈り物なのです。

沖縄は仏教ではないので、お供えのごちそうは精進料理ではありません。魚に豚肉もふんだんに使っています。今どきは、おさがりしたごちそうを子どもたち、孫たちが好んで食べてくれるようにと、出来合いのオードブルや、ケン〇〇〇ーフライドチキンなどをお供えする家庭も多いようです。それも決して悪くはないと思います。

でも、我が家はお餅も含めてすべて手作りしています。(料理上手な妹たちがいるので…感謝!)調理道具も祖母の時代から50年以上使っている年代物ばかりです。

いよいよ送り火を炊いて、お帰りになるご先祖様をお見送りします。ウチカビ(あの世のお金)を燃やして送り火とします。

お父さん、お母さん、おじぃーちゃん、おばあちゃん、ご先祖様!マタヤーサイ(また来年いらしてくださいね)

送り火の翌日。この船(高速艇)に乗って帰ります。

観光客を満載して渡嘉敷港に到着した高速艇・マリンライナーとかしき。

 

 

 

 

 

<ニチニチソウ>                                 <ブーゲンビリア>

 

2017年9月7日リンクURL

お盆中日~島の恵み

お盆の中日は割とのんびりと過ごしました。曇りがちで少し風がありましたが、海はキラキラを光っています。

幼いころからなじんだこの風景の中にいると、身体も心も緩んで穏やかな気持ちになります。ぬる~いお湯につかってダラ~ンとしている感じ、と言ったらいいでしょうか!

島に住む親戚が、アタイ小(家庭菜園)で作ったパパイヤやヘチマを届けてくれました。

ナーベーラー(ヘチマ)です。2個はすでに炒め物にして食べてしまいました。ぷっくり太って栄養満点といった感じです。愛情もたっぷり注いで育てたのでしょうね。

 

パパイヤも見事です。我が家の台所の窓から見えるパパイヤの木においしそうに実っていました。欲しい!と言ったらヘチマと一緒に届けてくれました。

一緒に写っているシーチキンの缶詰は、特に意味はありません。茶目っ気旺盛な我が妹が、私がカメラを向けているのを見て、冗談にちょこんと置いただけなんです。強いてこじつければ、沖縄はシーチキンの消費量全国一なんだそうです。パパイヤチャンプルーにもシーチキン使うもんね!

これも従弟が釣ってきたグルクン(タカサゴ)です。沖縄の県魚でもあります。すぐに調理できるようにと、ちやんと下ごしらえをして届けてくれました。

都会にいると、これらはすべてお金を出さなくては手に入りませんが、島には、山があり、海があり、畑があり、そしてお互いに思い合う人々がいて、つまり、自然が当たり前にそこにあるだけで、このように豊かな実りを私たちに与えてくれます。これこそ本当の豊かさではないだろうかと、ご先祖さまに感謝する旧盆中日の一日でした。

2017年9月7日リンクURL