慶良間諸島が国立公園に!

渡嘉敷側から 慶良間海峡を望む

渡嘉敷側から 慶良間海峡を望む

 

ニュースというにはあまににも遅い情報となってしまいましたが
慶良間の人間としては、やはり書いておかなくては!

写真提供:大藪健一さん

写真提供:大藪健一さん

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<ホシゴンベ>

<ホシゴンベ>

国立公園の指定は、白神山地以来、実に27年ぶりなのだそうです。

ホエールウオッチングのシーズンは過ぎたのに
国立公園指定のおかげで、観光客が増えているそうですが、目的は、なんといっても、地球の宝であるこの海の貴重な動植物を守るためであって、間違っても海を汚すようなことにならないよう、心しなければなりません。

 

渡嘉敷では村から写真のような記念の手拭いが村民に配られました。DVC00008.JPG DVC00007.JPG DVC00006.JPG

2014年3月25日リンクURL

百聞は一見にしかず

沖縄の平和運動を知るために、あるいは支援、連帯するために
沖縄の地を訪れる方たちがたくさんいます。

それは日本国内だけでなく外国、特に沖縄と同じように
米軍基地を抱えて苦しんでいる国々や地域、例えば
韓国やグアム、プエル・トリコなどからですが

そういう方に沖縄の現状を伝え、視察の道案内(ガイド)を
あまり得意ではありませんが、お役目だと思って引き受けています。

先日も、渡嘉敷島へあるグループの方々を案内したところ
参加者のおひとりから、以下のようなお便りをいただきました。

このブログを読んでくださる方々にも
沖縄の状況を感じてもらえるいい機会になるかと思いますので
ご紹介します。

北山(ニシヤマ)から慶良間海峡を望む

北山(ニシヤマ)から慶良間海峡を望む

〇〇〇さま

ご挨拶と御礼が遅くなりました。先日は、渡嘉敷島のご案内を有り難うございました。
渡嘉敷の海の美しさが忘れられません。

あんな美しい海が米軍の結集地となり、沖縄本島攻撃の最前線基地となり、その攻  防を巡って、日本軍も結集し、島の人たちを犠牲にしたことを聞き、改めて戦争の狂  気を痛感しました。そこには慰安所跡があり、アリランの碑がありました。韓国の人を  も蹂躙しました。

アリランの碑

アリランの碑

集団自死の原因と理由がよくわかりました。その後遺症にも心が痛みました。戦争の被害者と加害者は一体誰なんでしょうか。
一般の民衆を加害者に仕立て上げるのが戦争ではないでしょうか。どう考えても加害 者は国家であり、一部の権力者なのではないでしょうか。国の支配者は権力欲のために国民を犠牲にします。

現在の政権も、昔来た道を後戻りしつつあります。その政権を選び、「〇〇ミクス」だと  か、「東京五輪」だとかに酔っている国民の情けなさ、それをあおるマスコミです。

そういう中で、「基地、軍隊を許さない行動する女たちの会」を立ち上げ、戦っておられる  ことに敬意を表し、心から声援を送ります。

後ろの海から米軍は上陸した。沖縄線の始まりである。

後ろの海から米軍は上陸した。沖縄線の始まりである。

 

わたしはキリスト教会の牧師をしています。日本の戦争責任などと言うことは  何も教わらないで育ちました。

1965年、日韓条約が批准された夏、韓国に行き  ました。「韓国では汽車の中などで日本語をしゃべるな。危害にあっても責任  を負えない」と言われましたが、なぜそういうことを言われるのか分からない  くらい、日本の戦争責任について無知でした。しかし、行くところ、行くところ、  日本の軍隊の爪痕が残っていて、まともに顔を上げて歩けないような思いを  しました。

沖縄でもショックを受けました。沖縄は日本に復帰したけれども、沖縄に平和  憲法は無く、従って、日本に平和憲法があるというのは嘘だと言うことを思い  知らされました。

いつも親切に迎えて下さったひめゆり壕生き残りの元陸軍病院看護婦だった  具志八重さんは、「わたしたちは日本に騙され続けて来た。わたしは日本人を  信用しない、沖縄を泥足で踏み荒らして欲しくない」と言われたことと、自衛隊  関係者の案内をされたバスガイドさんが、「『沖縄戦は戦争の歴史に残るまれ  に見る成功例だった』と自衛隊関係者がバスの中で話しているのを聞いて、悔  しくてたまらなかった」と言って涙を流されたことを今も忘れることができません。

先般、長野に行き、満蒙開拓団の記念館に行きました。満州では、ソ連が進入  して来た時、軍隊は開拓民を置き去りにして真っ先に逃げたそうです。満州で  も「集団自死」がありました。子どもを川に投げた人もいました。ひとたび戦争が 始まると軍隊は国民を守らないと言うことを知りました。「軍事力で国を守る」と  いうのも嘘だとわたしは思います。

渡嘉敷でも、そのことを教えられました。特に、日本の軍隊は住民を犠牲にし  ました。戦場では、一人一人の兵士は加害者に仕立て上げられます。しかし、  無理矢理戦場に引きづり出された兵士も被害者です。彼らは気が狂わなけれ  戦場で生きていけなかったのだと思います。

戦争の背後には、戦争によって利益を受ける人がいるのではないでしょうか。
国民はその手玉に乗せられるのだと思います。

11月25日の高江ゲート 台風のためテントはたたまれていた

11月25日の高江ゲート
台風のためテントはたたまれていた

 

今回、渡嘉敷に行く前に、東村の髙江に行きました。基地のすべてのゲート  の前に人々はテントを張って座り込みをされていました。「ヤマト」では、そうい  う報道は一切ありません。ショックでした。

わたしも含めて、わたしたち「ヤマト」に生きる者は、戦争は過去のことだと思っ  ているのです。「自分たちは被害者だ」と思っているもです。わたしたちは経済  のことしか頭にありません。

今回、沖縄に行って、平和惚けした自分に少し「お灸」をすえさせていただきま  した。いつかまた、「お灸」をすえるため、そして、「いのち」あふれる沖縄にふれ  るため、お邪魔したいと思います。

ありがとうございました。

2013年11月1日リンクURL

慶良間諸島の美しい海が国立公園に!

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<デバスズメダイの群れ>

写真は慶良間諸島渡嘉敷島の近海、

<ホシゴンベ>

<ホシゴンベ>

、ヤッコエイ>

、ヤッコエイ>

撮影は千葉県在住のダイバーでサーファーの大藪健さん。
大藪さんは、私の氣功の師・松本宏一先生のさらに恩師、というよしみで 最近お知り合いになったばかりですが、写真のブログ掲載をお許しいただきました。

 

那覇の西方およそ32キロの海上に浮かぶ30余の島々が 慶良間諸島です。

渡嘉敷村と座間味村からなり
渡嘉敷島は私のふるさとでもあります。

この慶良間諸島が近々国立公園に指定されることに
なりました。

 

渡嘉敷島の北山(ニシヤマ)展望台から遠望する慶良間海峡の景観は、沖縄の瀬戸内海とも称される絶景です。

もちろん景観だけでなく、美しいサンゴ礁が育む生物多様性豊かな慶良間の海は、世界でも有数の透明度を誇り、 夏はダイビング、冬はホエールウオッチングで知られています。
ザトウクジラは子育てのために、
慶良間諸島の海にやってくるのだそうです。

私は故あってカナヅチのため、海の中の美しさは味わうことができませんが
陸から眺める慶良間の海も最高です。

100912 025-2

 <慶良間海峡~渡嘉敷島から座間味の島々を望む:撮影:吉川嘉勝氏>

 

2013年8月26日リンクURL