生コン車も応援に来たどー!~今日(2月19日)の辺野古 ①

やってきたのは、でっかい辺野古ブルーの車体に、可愛いらしいジュゴンのイラストや
「辺野古新基地反対」「警視庁はヤマトに帰れ!」「オスプレイ NO」の横断幕を掲げた生コンクリートミキサー車
頼もしい!!!!

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この粋な計らいの主は、生コン車の運転手でつくる全日本建設運輸連帯労組の近畿本部。

「沖縄を意識して、髪を赤く染めてきた」

「沖縄を意識して、髪を赤く染めてきた」

運転してきたのはこの方。

「辺野古新基地建設で悪いイメージのついてしまった生コン車の名誉挽回のため
沖縄の皆さんと連帯して闘う。関西から生コンミキサー車一台を沖縄まで運ぶのに50万円かかるが
何かあれば台数を増やしてまたやってくる」とゲート前に座り込む人たちを喜ばせた。

3月13日には、関西一円の運転手が結集して、
250台の生コンミキサー車を連ねて大阪市内をパレードし、
安保法や、辺野古新基地建設反対を訴えるという。

機動隊に守られて、基地の中へ入っていく工事車両のミキサー車はこちら

機動隊に守られて、基地の中へ入っていく工事車両のミキサー車はこちら

2016年2月19日リンクURL

トンブロックの投下許さない!~今日(2月12日)の辺野古

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水・木の集中行動日後の今日・金曜日は
二日間工事車両が基地内に入れなかった分を取り戻そうというつもりなのか、午前中に4回も、機動隊による座り込みの排除が行われた。

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恫喝、押し倒し、引きづりなど警視庁機動隊のあまりの暴力的排除に、県外から初めて参加した若い女性が、震え、泣き出す場面も。

私も、スクラムを引きはがされ、「立ち上がってください」といわれても、うずくまって動かなかったので、「ケガさせてもいいのか!」、何度も怒鳴られた。
「警察官が市民にケガさせていいはずないでしょ!」

”言うことを聞かない者は、ケガさせても構わない”という理屈のようだ。

午後2時以降は、弾薬庫の第二ゲートでも抗議行動。
ここでも市民の座り込みを妨害するため、2台の警察車両がゲートの半分を駐車・占拠する状態が数日前から続いている。

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この警察車両は早朝から数時間もず~っとエンジンかけっぱなし(アイドリング)、排気ガスをまき散らしているので、市民側は、アイドリングをやめるよう抗議した。

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海が見える旧ゲートからは、トンブロックを積んだ作業台船が見える。

3か月もトンブロックを積んだままの作業台船

<3か月間も、トンブロックを積んだまま辺野古の海に浮かぶ作業台船>

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一個50㌧~60㌧もあるようなコンクリートの塊を、オイルフェンスを固定するためだけに、何百個もこの海に投げ入れる予定なのだ。
ただ、それには県知事の許可が必要。それでも、憲法さえ無視するなんでもありの国家権力、いつトンブロックの投下が始まるかわからない。海上では抗議船やカヌーチームが警戒して必死の抵抗を続けている。

金網の向こうに~

<金網の向こうに~>

2016年2月12日リンクURL

核廃絶を訴えて35年間ホワイトハウス前に座り込むピチョットさん亡くなる

アメリカ在住の友人から、沖縄の女性たちに寂しい知らせが届いた。

核兵器廃絶を訴えて、雨の日も、風の日も、雪の日も、嵐の日も、
24時間、35年間ホワイトハウス前に座り込みを続けてきたコンセプシオン・ピショットさんが亡くなったという。

ビショットさんの訃報を伝えるロスアンゼルスタイムスの記事

<ビショットさんの訃報を伝えるロスアンゼルスタイムスの記事>

ピショットさんとの出会いは、
1996年、いまから20年前のちょうど2月、
沖縄の女性たち13人が、ピースキャラバンでアメリカを訪れたとき
「ホワイトハウスの前で、広島・長崎の写真を示しながら、核廃絶を訴えている女性がいる」と聞いて、会いに行ったのが最初だった。

2月のワシントンは一面雪だった。

そのときすでに16年間も座り込み続けているというピショットさん。
「夜、横になると道路交通法違反で、警察に連れていかれてしまうので、
座ったまま眠るの!」と、小柄揃いの沖縄の女性たちとあまり変わらない小柄な身体に満面の笑みで語った。

スペイン出身のピショットさんは、スペイン領事館や国連などで働いている中で核兵器の恐ろしさを知り、家も財産も売り払って、一人核廃絶の運動を始めたという。

「私が世界中を回って一人ひとりに核廃絶を訴えるには物理的にも経済的にも限界がある。ホワイトハウス前にいれば、観光や社会見学の子どもたちなど、アメリカ中、世界中の人々が、向こうのほうからやってきてくれる」と。

夜にはマイナス20度にもなるという極寒の中で、16年間・24時間座り込んで核の恐ろしさを訴え続ける彼女の行動に、私たちは感動した。沖縄メンバーの一人が、「失礼かもしれませんが、もらってくださいませんか?」と自分のショールを差し上げた。

ホテルに帰った私たちはみんなで話し合い、少しのカンパと持っていたホッカイロをかき集めて、、翌日もう一度彼女に会いに行った。便利なホッカイロに驚きながら「暖かいショールをもらったので、これであと10年は頑張れる」と、喜んでくれた。

カンパは、日本語、韓国語、中国語など世界の言語で印刷されたチラシをコピーするために使われるという。

私たちが遠く沖縄から米国へ来た目的を
「3人の米兵に12歳の少女がレイプされた。米軍基地があるゆえに、沖縄ではそういうことが長い間たくさん起こっているということを、アメリカ国民に訴え るためにやってきた」と伝えたら、涙ぐみながら、私たち一人ひとりを優しく抱き占めてくれたことが、昨日のことのように思い出される。

私がピショットさんと会えたのはその時だけだったが
沖縄の女性たちは訪米の機会があるごとにホワイトハウス前に出かけ、彼女と交流を深めてきた。
昨年11月にも、仲間の一人が元気なピショットさんに会ってきたばかりだったので、突然の訃報にショックを受けている。

ビショットさんが座り込みを始めてから35年間に、ホワイトハウスの主は、核廃絶を唱えたオバマ大統領まで5人も入れ替わったという。「いつかきっと大統領が私の訴えに耳を傾けてくれるだろう」とのピショットさんの願いは、ついにかなわなかった。

主のいなくなったホワイトハウス前のテント(ニューヨークタイムスより)

主のいなくなったホワイトハウス前のテント(ニューヨークタイムスより)

黒人初の大統領として期待しすぎだったかもしれないが、すぐ目の前で、35年間も命がけで核廃絶を訴える一人の女性に声をかける包容力さえも、オバマさんにはなかったのだろうか?

ピショットさん!長い間本当にご苦労様でした。どうぞ安らかにお休みください。
そして天国から世界平和を願って活動する人々を、見守ってください。

2016年2月10日リンクURL