追悼・抗議集会~これ以上の基地・軍隊の駐留は認めない!

女性たちが中心となって呼びかけた二度目の追悼・抗議集会が、8日、46団体、200人近くが参加して那覇市内で開かれた。

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集会は、被害者への黙祷で始まり、 ゲストスピーカーとして招かれた元米陸軍大佐で外交官も務めたアン・ライさんトが、事件の背景にある「軍隊の構造的暴力」について語った。

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「軍隊がいるところに暴力が起こるのは、世界各地で共通している。それは、彼ら(兵士)は日々敵を殺す訓練をしているからだ。それをなくすには軍隊の撤退しかない。
軍隊内部でも性暴力が問題になっており、女性兵士の4人に一人がレイプの被害に遭っている。また性被害に限らず、軍関係者の事件事故が多発しているのは、”違う国では何をしてもいい”という植民地的差別意識に根差している」と軍隊の撤退を訴えた。

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各団体の代表10人によるリレートークでは、自らが14歳の時に米兵から性被害を受けた体験を語った人もいた。「何十年も誰にも話すことができず、自分を責め続けていた。女性たちとの活動の中で、わたしは悪くないと気付くことができ、こうして語ることができるようになった。被害を黙っている人はたくさんいる。もうこれ以上の被害者は出したくない。すべての基地がなくなるまで、一緒に頑張りましょう」と訴えた。

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P1030624     プラカードを掲げて「被害者への思い」と「すべての基地・軍隊の撤退」をアピール。

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 同じ女性同士、痛みを分かち合い、共感し、支えあう追悼・抗議集会となった。

2016年6月9日リンクURL

蝶に誘われて 花を捧ぐ

8日行われる追悼・抗議集会のゲストスピーカーとして招かれたアン・ライトさんが、集会を前に、遺体遺棄の現場を訪れ花束を捧げた。

DVC00131.JPGアン・ライトさんは、元米陸軍大佐で外交官も務めたが、イラク戦争に反対してブッシュ大統領(当時)に抗議の手紙を出し、外交官を辞めた経歴を持つ。

現在は、ベテランズ・フォー・ピース(平和を求める退役軍人会)やコード・ピンクなど、国際的な平和運動に関わり、特に軍隊内の性暴力について、米政府や米軍を追及し、抗議活動を行っている。

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DVC00125.JPG現場に通じる入り口や県道沿いにたくさんの花や飲み物、メッセージが添えられた写真などが供えられていた。

この林の奥は、金網こそ見えないが、キャンプ・ハンセンの米軍実弾演習場であり、この道路は住民の生活道路を封鎖して、県道越えの実弾演習(1973年~1997年まで)をしていた象徴的な道県道である。海兵隊員であった容疑者にとっては、訓練で知り尽くした場所、だったのかもしれない。

DVC00099.JPGDVC00097.JPG            <お友だちでしょうか。「時々は夢で会いにに来てね」と…>

DVC00098.JPG             <何かスポーツで優勝した時の記念写真のようです>

周りを黒や白のアゲハチョウがひっきりなしに飛んできて、木々の間を舞い遊んでいた。喜んでくれたのだろうか。ハーベールー ①

アン・ライトさんを迎えての「追悼・抗議集会」は、今日この後6:30分から、教育福祉会館で行われる

☆20160608集会 (2)(集会チラシ)

 

2016年6月8日リンクURL

6月3日の辺野古~米軍車両は基地の外(民間地域)に出るな!

元米兵による女性強姦殺人、遺体遺棄事件に、県民は怒り心頭、辺野古だけでなく、県内にあるいくつもの米軍基地ゲート前において、これまでにない抗議の抵抗闘争が行われている。

特に、辺野古ゲート前では、県議会の抗議決議に沿って、ゲートの出口に座り込こみ、米軍車両を外(民間地域)に出さない抗議行動が行われ、米軍・軍警との激しい攻防となっている。

DVC00099.JPG座り込み698日目・6/3(金)の辺野古ゲート前。
金曜日は、いつもスタート時の人数は少ない。この日も十数名で穏やかに柔軟体操から始まった。

まもなくして、訓練に向かう完全武装の兵士を満載した軍車両が難題も出ていくようになったので、市民が出口を封鎖した。

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とはいっても、国道の交通渋滞に配慮して、ゲートの半分入り口は開け、基地に入る車両は自由。軍車両もどうしても出るというのなら、この入り口からいくらでも出られる状態になっている。にも関わらず、軍雇用の警備員がしつこく道を開けるよう警告、続いて名護署の広報車が立ち退きを勧告し、それを無視すると今度は県警機動隊が出てきて市民を力づくで排除して軍車両を通す。

機動隊による座り込み市民の排除

しかし、市民はこのような弾圧にも怯まず、機動隊が引くと直ちに阻止線をつくり、ねばり強く何度も何度でも阻止行動をくり返した。

また、前日(6月2日)は、ゲートを封鎖した市民に対して、米軍側はM・Pカー2台を座り込み市民の正面面前に投入して、座り込み市民に向けてサイレン(3種類の音を交互に発して)の爆音で市民を追い出そうとしたという。

市民側は急遽、脱脂綿で耳栓をつくり対抗。そのため、とうとう米軍側が根負けして11:15頃にM・Pカーを引き上げ、基地の中の米軍車両を入り口に誘導するはめになった、との報告があった。

今、このような「基地NO!」の闘いが,辺野古だけでなく、普天間基地の野嵩ゲートでも、新たに嘉手納飛行場メインゲート(砂辺)でも、読谷・トリーステーション(米陸軍謀略部隊)のゲート前にも、闘いが広がっている。

DVC00096.JPG この日印象的だったのは、フェンスにかけられた元米兵による殺人遺体遺棄事件の被害者を悼む「黒い布に白い花」のバーナー。DVC00095.JPG

安倍総理は、サミットで来日したオバマ大統領と会談はしたが、県民が強く求めている地位協定の改定を伝えることさえせず、被害者と県民の痛みはアメリカにも日本政府にも、全く届いてはいない。

いつまで 沖縄を 日米安保の生贄にするのか!

2016年6月5日リンクURL