沖縄国際平和研究所が閉館

1996年 知事応接室にて大田知事(当時)

 

 

元沖縄県知事・大田昌秀氏の死去に伴い、氏が遺した国際平和研究所が、9月いっぱいで閉館と聞き、最後にもう一度見ておきたいと思って訪ねました。

最終日の夕方、もう陽が沈み、辺りは暗くなりかけていましたが、滑り込みセーフで入れてもらいました。 すでに閉館時間が過ぎていたため、私の他にはマスコミらしい人が一人いただけでした。

住宅街のビルの一角、決して広くはないスペースに、一階は写真がところ狭しと展示され、2階は大田先生のプライベートな執務室となっていて、一般の参観者は入れませんが、2度ほどお邪魔したことがあり、ここにも大量の本や資料が詰まっていました。

自らの戦争体験を基に、生涯を沖縄戦の研究と平和の創造に献身された大田先生が遺したこれらの貴重な資料が、閉館後どうなるのかまだ決まっていないようですが、今後も多くの人たちの学びに役立てられるよう願ってやみません。

1998年、普天間基地の移設先をめぐって、「基地のタライ回しは認めないで!」とう伝える女性たちの要請を受ける大田知事(当時)

2017年10月1日リンクURL

今日(8月27日)の辺野古~沖縄の痛みは 日本の痛み 私の痛み

27日は文子さんのお祝いだけでなく、いつも通りゲート前で座りこんだ。文子さんのトーカチを祝う実行委員会は、事前に、「大切なおめでたい日なので、邪魔しないように」と、防衛局に申し入れを行っていた。
そのせいかどうか、いつもより1時間も早く一回目の搬入があり、集会が始まると同時にごぼう抜きに合った。

 

 

 

最近機動隊は、マイクを握っている現場のリーダーを真っ先に排除するようになった。

 

 

トーカチ祝いが終わると同時にまたトラックが押し寄せ、みんなで座り込むが、2回目のごぼう抜き。基地の中の高台から、その様子を高見の見物する一団がある。どうやら機動隊の新人研修のようだ。ここで基地に反対して座り込む人々のことをどう説明しているのだろうか。「若者たち、騙されるなよ。真実を見抜く目を持て!君たちの未来のために、私たちはここにきている」と、みんなが口々に呼びかけた。

「沖縄の痛みは 日本の痛み わたしの痛み」そう言ってくれる日本国民がどれだけいるのだろうか。

2017年9月29日リンクURL

ゲート前で文子さんのトーカチ(米寿)祝い

参加者450名の盛大なトーカチ祝いでした。

 

古典音楽の演奏に、祝いのかじゃで風の舞に始まり、余興も盛りだくさん。11時から13時まで2時間の予定が3時間半の大祝宴になりました。

あの古謝美佐子さんがビッグサプライズで飛び入り参加。童神はじめ3曲を歌って、文子さんの長寿を祝福しました。

議会開会中の合間を縫って稲嶺名護市長も、解散国会を明日に控えての伊波洋一参議院議員もあいさつに駆けつけました。

稲嶺市長から送られた花束とレイ

こっけい舞踊歌劇「戻り籠」

古謝美佐子さんの「童神」に合わせてフラダンス

 

八重山の伝統芸能「あぶじゃーま」

 最後はカチャーシーに辺野古名物ラインダンスで総仕上げ。

 謝辞を述べる文子さん。「沖縄一ではなく、日本一でもなく、世界一長生きして、基地をなくします!」と長寿宣言。米寿を迎えた心境を琉歌に託しました。

 御万人ぬ情け  わがチムに留めて                   永らひてうとてぃ  基地ゆ止めら

(たくさんの人々の温情  この胸に留めて  長生きして 基地を止めようぞ   島袋文子 詠)

泡盛、カルカン紅白饅頭、結び昆布:(よろこぶに通じる)

2017年9月28日リンクURL