阿波根昌鴻さんとともに闘った50年 謝花悦子さん ~ やんばる・伊江島の旅④ 伊江島編 ( 中)

 平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を見せていただいた後、館長(わびあいの里理事長)の謝花悦子さんにお話を伺った。 

 「阿波根昌鴻さんと50年以上も一緒に戦ってきた。すぐそばで阿波根昌鴻の闘いの人生を観てきた者として、彼の意志を継いでわびあいの里の運営をやっている。

 阿波根さんは、よくガンジーやキング牧師と例えられるが、彼らと同じなのは非暴力ということだけ。阿波根さんが命をかけたのは土地。”人間、土地さえあれば餓死しない”と、よく言っていた。 

 人間が生きることができるのは、土地のおかげである。土地は何十年、何百年使っても人間に還元してくれる。金は、使えばなくなってしまうものである。(ここでいう土地とは、もちろん不動産として金儲けができる土地ではなく、耕し、食料を生産する土地のことである)資本主義が発展し豊かになった現在は、難儀しない、損しない、金になる作物しか作らないという社会になってしまった。

 この世に生まれて大切なものはまず命。その命を守り育て、幸せな人生を送ることができる社会でなければならないはずなのに、今の時代はどこに向かっているのか?

 沖縄戦から75年、戦争は人災である。今回のコロナ禍も世界で核戦争の準備が進められ、軍備強化がされ続けてきた結果の人災であると思っている。

 60年前に”水素爆弾”の話を初めて聞き、放射能と言う目に見えない空気のような毒を持っている兵器があると知ったとき  ”これは地球の外へ出すことはできないのか?”と、とても幼稚なことを言って笑われたことがある。状況は違えども、今回のコロナウィルスのように目に見えないものによる世界の混乱を見た私の怒り、悔しさ、悲しみ、つらさをどう表現することができるのか、言葉では言い表せない。

 日本の地図を見ると60%に基地がある。沖縄も同じ。(辺野古の米軍基地だけでなく)、自然を破壊して、宮古・八重山にまで自衛隊基地を造っている。軍備のためには借金してまで新兵器も作っているという。政治は国民のためにあるべき。人間が生きるためには何が必要か、(政治家のみなさんには)今一度考えてもらいたい。

 豊かな自然の中ではいかなる放射能も消滅する。その自然を破壊し続けてきたために、自然界が消化できないようになったのが”コロナ”だ。鳥インフルエンザも、豚コレラもそうだ。戦争ばかりして命の大切さを顧みない。このままいったら地球が破滅してしまう。”人間よ!この愚かさ気づきなさい”とコロナは出てきたのではないだろうか。現に、コロナ禍によって土地、農の大切さが見直されて来ている。

 沖縄が焦土と化した沖縄戦が終わって75年。日本政府は、反省もしない、後片付けもしない、責任もとらない。次の軍備のために沖縄にすべてをかけている。その予算をゼロにして、国民のために使ってもらいた。

 平和への道は学習、理解は力なり。何故戦争が起こるのか、これから生まれてくる子どもたちのために、先輩として阿波根とともに学んだことを後世に伝えていく。私は死ぬまで闘う。決してあきらめない」。

 謝花さんのお話は熱く力強く、2時間近くに及んだ。お話の中で、軍拡競争に明け暮れ、殺してまでも奪う世界(日本も含め)の不条理に、「この怒りは、言葉では言い表せない」と、もどかしそうに何度もおっしゃった。

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 実は、先日亡くなられた高垣喜三さんは、わびあいの里の常務理事をつとめていらした。謝花さんは、前日その葬儀から帰られたばかり。最大の支援者を無くされて失意の中にいらっしゃる謝花さんに告別式でお会いした。こんな時にお尋ねしていいのかお伺いしたら、「こんなときだからこそ来てほしい」とおっしゃってくださった。

 改めて、お悔やみと感謝を申し上げたい。

 わびあいの里を出る私たちを、庭まで出て見送って下さった謝花さん。

 

 

 

2020年12月13日リンクURL

ヌチドゥタカラの家 (わびあいの里)~ やんばる・伊江島の旅③ 伊江島編 (上)

 12月5日(日)、やんばる・伊江島の旅三日目は伊江島に渡った。

 数日前から悪天候が続き、波が高く、船が運航するのかどうかも、当日朝まで全くわからなかった。友人たちを迎えて以来この三日間「伊江島に行けますように!」と、ひたすら祈った。

 当日朝、宿泊した名護のホテルの窓から見える名護湾の沖は、白波が立っていて心配したが、無事渡ることができた。

 本部港から30分のフェリーの旅。おなじみのイイジマタッチューに迎えられて伊江島の地を踏んだ。

 真っ先に阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんが集めた資料と、その活動の軌跡を収蔵する反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を訪れた。

 阿波根昌鴻さんは、戦後、伊江島の土地の約6割が米軍に強制接収された際、反対運動の先頭に立った方である。

 「全沖縄土地を守る協議会」の事務局長や「伊江島土地を守る会」の会長を務め、1955年7月から翌56年2月にかけて、沖縄本島で非暴力による「乞食行進」を行って米軍による土地強奪の不当性を訴え、1956年夏の島ぐるみ土地闘争にに大きな影響を与えた。

 

 <写真は許可を得て撮影・掲載しています>

 「ヌチドゥタカラの家」は、1984年12月8日に開館しました。平和のためには戦争の原因を学ばなければならないという阿波根の考えを具体化したもので す。人間の生命を粗末にした戦争の遺品と平和のためたたかった人々の足跡を紹介しています。土地闘争の中で収集した米軍の爆弾、原爆模擬爆弾、鉄線、標識や戦争直後の生活用品や闘争を記録した写真や土地を守る会の旗などを展示(ヌチドゥタカラの家ホームページより)

 館内には含蓄のある阿波根さんのことばがたくさん展示されているが、ここでは2つだけ紹介する。

 私は伊江島を訪れるのはこれで4度目。その都度ヌチドゥタカラの家にも訪れているが、いずれも仕事がらみ(取材)での訪問。それも最後に訪れたのはもう十数年前のことになる。

 改めて阿波根さんのことばに接して、胸にストンと落ちるものがあった。辺野古へ通うようになって、阿波根さんのことばの数々が、より深く理解できるようになったのではないかと思う。

 戦争体験のない私にとって、辺野古での座り込みは、国家権力の何たるかを、わずかながらでも実感できる体験となっている。その上で改めて阿波根さんのことばに出会い、熱く魂に染み入るのを体感した。

 

 阿波根さんに、「人間、(耕す)土地さえあれば餓死することはない」ということばがある。彼の夢は伊江島に農民学校を建設することだったという。建設途中で沖縄戦によって破壊され、戦争が終わってもさらに米軍によって、土地を奪われた。だから土地闘争だったのである。

 

 実は、阿波根さんには生前何度かお会いしている。やはりいずれも仕事がらみで、直接2時間ほどインタビューしたこともある。

 また、戦後米軍は伊江島を占領した後、基地を拡張するために足手まといになる住民全員を島外に移送した。その移送が先慶良間諸島だった。そのとき阿波根さんは私の故郷である渡嘉敷島に送られ、3年ほど住んでいたということが、最近明らかになっている

 

 次回は、阿波根さんとずっと闘いを共にし、現在もヌチドゥタカラの家の館長をつとめる謝花悦子さんのお話を紹介する。

 

2020年12月11日リンクURL

「障害者の日」に新基地断念を求めるアピール ~ 今日(12月9日)の辺野古

 今日も朝から冷たい雨。7:00に那覇を出発。8時すぎ辺野古に着くころは大降りになっていた。

 こんな日の早朝は、来てくれる人も少ないだろうと思っていたら、豈図らんや9時の一回目の搬入に40人近くが座り込んだ。

 大事な日に限ってよく雨が降る沖縄。「こんな日だからこそ、私が行かなくて誰が行く!」。うちなぁんちゅ(沖縄人)のそんな心意気が、これまでどれだけ多くの難題を乗り切ってきただろうか。

 

 辺野古ダムの湖面に、美謝川切替のためのボーリング調査の単管やぐらが建てられたということで、「昨日(8日)緊急に名護市長への要請と抗議の集会を呼び掛けたら、わずか3時間で60人がかけつけてくれた」と、山城博治さんが報告した。
 
 「渡具知市長は、『調査の敷地は民有地で地主の許可を得ており、市としては関知しない』と言っているが、市民側が、『そうではない!もっと勉強して対応しろ』と、名護市が関与すべき根拠となる資料を渡して抗議してきた」という。
 「違法もお構いなくあの手この手で強行してくる防衛局(国)に、こちらも間髪入れずに行動することが大事」と山城さん。
 
 
 
 
 
 降りしきる雨に、雨具は着ていても中まで滲み込んでくる。寒さで抗議の声も震えた。
 この日、ネット上では「こんな寒い雨の日に、バッカじゃないか!」とあざ笑うネトウヨの書き込みが拡散されていたという。
 
 
 今日12月9日は「障害者の日」。この日の前後に毎年開催されてきた「辺野古障がい者のつどい」が、今年はコロナ禍で開催できなかったことから、「辺野古  障がい者のつどい実行委員会が、「私たちは 辺野古新基地建設の断念を求めます」と、アピールを発表した。
 
 アピールによると「75年前、ナチスドイツはユダヤ人の大量虐殺の以前に、病人や障害者をガス室に押し込め、虐殺した。戦争の役に立たない者、足手まといになるものは抹殺するという優性思想の最たるもの。20万人の障害者が犠牲になった。
 辺野古新基地も戦争につながるもの。戦争になると障害者や弱者が真っ先に殺される。私たち障害者こそ辺野古の新基地建設に反対しなければならない。健常者と連帯して辺野古新基地建設断念を勝ち取ろう!」と訴えた。
 
 
 
 県内外から寄せられたメッセージも紹介された。その一つ伊江島・土の宿の木村ひろ子さんのメッセージ。
  
  俳優・中村敦夫さんのメッセージが心に響いた。
 
 「無限」と「有限」
「無限」の経済成長を求めるものは、最終的に「戦争」にたどり着きます。
彼らにとって「戦争」は最も効率的な経済政策だからです。
しかしながら、地球も人間の命も、辺野古の美しい海もすべて「有限」です。
自然を破壊し、大勢の命を犠牲にし、一握りの人間だけが富を独占しようという企てに、私たちは協力するわけにはいきません。
 基地建設に反対するすべての人々に、エールを送りたいと思います。
 
          2020年12月9日 (障害者の日に)中村敦夫
 
 
 交通事故で障がいを負い、身体と精神二つの障害を持つという糸満島ぐるみのメンバーが、自作の歌を披露した。自分にできることとして、安和や塩川、地元の街中でのスタンディング行動に歌とギターでアピール行動に参加しているという。
 
 
 
 今日も天候不良のため安和桟橋、塩川港の土砂搬出の動きはなく、水曜日安和担当の糸満しまぐるみなどのメンバーも辺野古に合流。正午の2回目の座り込みには、70名余に膨れ上がった。
 
 
 
 今日は一日雨の中での行動となった。コロナ禍、インフルエンザの季節、医療崩壊寸前で風邪くらいでは、病院で診てもらえないという。誰も風邪などひかぬよう祈るばかり。
 
 
2020年12月10日リンクURL