うるま市「自衛隊訓練場計画」断念

 

 

  地域住民が保革を越え一致して反対した成果である。しかし、国は県内他地域での整備をあきらめたわけではない。

 うるま市の「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会」では、別の土地で整備計画が持ち上がった場合、「その地域が反対するなら、協力していく」と連帯を表明している。

 

 

2024年4月13日リンクURL

ご案内① :「 癒しのアートの力」 キャサリン・ジェーン・フィッシャー沖縄展

 キャサリン・ジェーン・フィッシャーさん。彼女の名前を記憶している女性も多いことでしょう。

 2002年、横須賀を母校とする米軍艦の乗組員である米兵に性暴力を受け、人権の回復を求めて実名で訴えました。さまざまな困難を乗り越えて闘い続け、同じような被害を受けた女性たちに、希望と力を与えたことで知られています。(詳しい経緯はチラシ参照)

 沖縄辺野古ゲート前にも何度も足を運び、県民大会でも実名で発言をしています。

 ジェーンさんはこうした人権活動とともに、作家、ヒーリングアートセラピストとしても幅広く活動。今回の展覧会ではジェーンさんのアート作品を数多く展示しています。(観覧無料、事前申し込みの必要なし)

4月6日(土)15:30からの講演会にも是非足をお運びください。

 

<4月2日 琉球新報>

2024年4月4日リンクURL

次世代に繋ぐ「うない(女性)ネットワーク」

 今年の3・8世界女性デーに、期せずして40年前、沖縄の女性たちが立ち上げた女性運動「うないフェスティバル」に焦点が当たった。

 

 きっかけは、昨年8月県外の友人たちと勝連半島の米軍・自衛隊基地の学習ツアーに参加したおり、ガイドをしてくれた若い女性に、ツアーが終了して別れ際「うないフェスティバルの〇〇さんですよね?」と、声をかけられた。どう見ても30代、40代の彼女に「どうしてうないフェスティバルを知っているの」とたずねると、県史で沖縄の女性史を調べていて、「40年も前に女性たちの素晴らしいネットワークがあった」と知り、興味を持ったとのこと。私が事務局として直接かかわった10年間についての報告書を送ると約束してその日は別れた。

 送った報告書はフェミブリッジという彼女の活動仲間の間で回し読みし、「是非直接当時の話が聞きたい」と声がかかった。彼女は、南城市長の性暴力問題にスタンディングで抗議したり、基地問題で抵抗の意志を示す黄色いリボン運動など、少数で活動している30代、40代の女性たちのグループだった。

 いくつもの女性グループが、同じ悩みを持ち、試行錯誤の行動をしながらも女性同士なかなかつながり合えない状況に、40年前県内の女性たちがこぞって参加した「うない」というネットワークがあったと知って、そこから何か学べるのではないかと思ったようだ。

 若いだけに、そこからの行動力が素早かった。

 まず、うないフェスの仕掛け人である私と、実行委員会座長を務めた高里鈴代さんに、数人で話を聞きに来た。話を聞いただけでなく、そのインタビュー動画にしてYouTubeにアップした。

 続けて第二弾を発信。

 粗削りながらネットラジオで発信を始めた。まだまだ反響は小さいようだが、続いて第三弾の行動を仕掛けた。 

 私は県外に出かけていてこの企画には参加できなかったが、当時うないフェスティバルに参加したという人たちも駆け付けて満席の盛況だったとのこと。

 第一回のうないフェスティバルが行われた1985年の女性たちの状況は、例えば私が働いていた放送メディアでいえば、女性のアナウンサーがニュースを読むなんてことは有り得なかった時代。私のいたラジオ局はうないフェスではじめて女性がメインの定時ニュースを読んだ。

 あれから40年経って女性たちの状況はどう変わっただろうか?大きく変わった面もあれば、全く進歩の見えない分野もある。とくに日本は、2023年の最新のジェンダーギャップ指数が、世界146か国中125位という恥ずかしい状況である。とても先進国と言えない。

 フェミブリッジの彼女たちはいま30代、40代。ちょうど私たちが「うないフェス」をはじめた頃の年齢に当たる。繰り返しになるかもしれないが、新たな女性運動の波を起こしてくれることを期待する。「うない」をまねるだけでなく、今の時代にあった新たな波を起こしてほしい。

 

 

 

 

2024年3月25日リンクURL