こそこそと会場入り ~ 復帰50周年記念式典の岸田総理

  50年目の5月15日。沖縄県と政府が合同で記念式典を行い、岸田総理が、式典に出席するというので、会場のコンベンションセンター前で抗議行動を行った。

 式典は2時からだが、会場のコンベンションセンター前には、正午前から抗議の市民らが詰めかけた。

 式典に出席する総理に抗議の声を届けようと、集まった市民を排除するのは九州各地から応援に集められた警察官(宮崎・熊本県警)。

 世界自然遺産に登録されたやんばるの森に、米軍が遺した実弾や放射能物質を含む廃棄物が、今も放置されていると訴える宮城秋乃さんも、実弾を示して抗議を行った。この声は総理に届くのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 抗議開始から2時間近く経って、会場に向けて総理の車が出発した情報はあったが、その姿はなかなか現れない。間もなくして、総理は別の入り口からコンベンションの敷地に入ったことがわかった。「聞く力」と言いつつ沖縄県民の声は聞くどころか、抗議する姿を見る事さえせず、裏口からこそこそと会場に入ったのだ。一国の総理がすることだろうか!恥ずかしい!失望する!

 式典のあいさつのなかで、玉城知事も、総理も辺野古新基地建設について、一言も触れなかったと、夕方のニュースで知った。(総理は式典後の記者会見で”辺野古唯一”と言及)

<追記>

 一方、コロナ禍でこの2年間組織的な行動が出来なかった5・15平和行進。今年は規模を縮小して、県外からの参加者も受け入れて14日のみ行われ、15日午前、那覇市民会館「なはーと」で県民大会を開催した。(参加者は事前予約制で限定されたため、私は参加できなかった)

<5月16日 琉球新報 ↑↑>

 

 

2022年5月16日リンクURL

変わらぬ基地 続く苦悩 ~ 50年目の5月15日 地元紙(琉球新報)紙面

 復帰50年と言われても、何の感慨も湧いてこない。噴き出してくるのは怒りばかりだ!この50年はいったい何だったのだろう? 地元の新聞から何か感じ取ってもらえるだろうか!

 

<琉球新報 復帰記念特集号 5月15日一面>

<琉球新報 5月15日 社会面>

      

<琉球新報 社会面>

 

 今日の琉球新報は、50年前の5月15日の紙面(一面)もそのまま掲載した。

 大見出しが 50年目の今日と同じだった!「変わらぬ基地  続く苦悩」

 

 

 

 

 

2022年5月15日リンクURL

抗議行動4現場を行脚 ~ 今日(5月11日)の辺野古・第四ゲート・塩川・安和

 真白いいじゅの花香るやんばる路を辺野古へ。

 辺野古ゲート前では今週に入って月、火と工事車両の搬入はなく、今日もたぶんないだろうとの情報で、その場合は安和・塩川の抗議行動を応援にいくことを決めて那覇を出た。

 辺野古ゲート前へ着くと、いつもは40人は居並ぶ民間警備員は、両端に一人ずつ立っているだけ、今日も搬入はないと確信できた。

 安和、塩川に向かう前に第四ゲートの様子を見に行くことになった。 

 GWで一週間来ない間に、ゲート右側も100㍍ほどすっかりはげ山になりっていた。

 

 土砂運搬船の出入りがあわただしい。海保のゴムボートが出動待機している様子も見えた。

 工事車両の動きはなく、安和、塩川に向かうことになった。再び貸し切りバスに乗り込み、土砂の搬出元の一つとなっている塩川港へ向かう。 

 辺野古ゲート前では、いつも30~40人が座り込むが、ここ塩川港は毎日本部島ぐるみの有志が3~4人で頑張っている過酷な抗議行動現場である。テントも、木蔭もないなかで、一日中もくもくとダンプのまえを牛歩戦術で横断、抵抗・抗議する。 

 一つしかない港の入り口で、入るダンプと出ていくダンプが交差する中を、ドライバーに丁重に頭を下げ、手を上げてしっかり意思表示して、ゆっくりと道路を渡る。

 「いつもは一人か二人なのに、今日は大勢いるので元気が出る」と本部島ぐるみのメンバーが喜んだ。 

 

 土砂は直接台船に積み込まれ、2台のベルトコンベアーは、なぜか稼働していなかった。 

 牛歩戦術は入り口だけでなく、広い港内数か所でおこなうため、港中がダンプ溜りになった。

 車両のナンバーや台数をチェックしている人にたずねると、土砂を積んで入ってきたダンプが、土砂を船に積み込み、港を出ていくまでに一台40分以上かかっているという。 牛歩戦術大成功だ。

 12時前に塩川を離れ、近くの本部港のターミナルで昼食をとった後、今度は安和桟橋へ向かった。

 ここも牛歩戦術だが、安和桟橋の入り口は信号があるので、信号に従ってゲートの前を横断する。しかし、しびれを切らしたダンプが、違法にも右からも左からも正面からも、歩行者優先を無視して突っ込んでくる。

 

 港の中では、土砂が持ち込まれてうずたかく積まれていく一方で、さらにそれをもう一度積み込んで船まで運ぶためのダンプが港内を行き交う。

 

 辺野古のゲート前は、テントもイスも木陰もあり、決まった時間以外は休息をとることもできるが、塩川、安和は、昼食時間以外はずっと歩きっぱなしだ。そんなところで毎日抗議行動に来ている人たちがいることを忘れてはならない。

 まだダンプの 搬入が続く中、一部の人たちに後を託して3時過ぎ帰りのバスに乗り込んだ。那覇まで2時間近い帰路となる。

 長い一日だったが、梅雨のさ中ながら、ちらつきはあっても傘をさすほどの降りではないかったのが幸いだった。

 

 

2022年5月11日リンクURL