辺野古ゲート前では今週に入って月、火と工事車両の搬入はなく、今日もたぶんないだろうとの情報で、その場合は安和・塩川の抗議行動を応援にいくことを決めて那覇を出た。
辺野古ゲート前へ着くと、いつもは40人は居並ぶ民間警備員は、両端に一人ずつ立っているだけ、今日も搬入はないと確信できた。
安和、塩川に向かう前に第四ゲートの様子を見に行くことになった。
GWで一週間来ない間に、ゲート右側も100㍍ほどすっかりはげ山になりっていた。
土砂運搬船の出入りがあわただしい。海保のゴムボートが出動待機している様子も見えた。
工事車両の動きはなく、安和、塩川に向かうことになった。再び貸し切りバスに乗り込み、土砂の搬出元の一つとなっている塩川港へ向かう。
辺野古ゲート前では、いつも30~40人が座り込むが、ここ塩川港は毎日本部島ぐるみの有志が3~4人で頑張っている過酷な抗議行動現場である。テントも、木蔭もないなかで、一日中もくもくとダンプのまえを牛歩戦術で横断、抵抗・抗議する。
一つしかない港の入り口で、入るダンプと出ていくダンプが交差する中を、ドライバーに丁重に頭を下げ、手を上げてしっかり意思表示して、ゆっくりと道路を渡る。
「いつもは一人か二人なのに、今日は大勢いるので元気が出る」と本部島ぐるみのメンバーが喜んだ。
土砂は直接台船に積み込まれ、2台のベルトコンベアーは、なぜか稼働していなかった。
牛歩戦術は入り口だけでなく、広い港内数か所でおこなうため、港中がダンプ溜りになった。
車両のナンバーや台数をチェックしている人にたずねると、土砂を積んで入ってきたダンプが、土砂を船に積み込み、港を出ていくまでに一台40分以上かかっているという。 牛歩戦術大成功だ。
12時前に塩川を離れ、近くの本部港のターミナルで昼食をとった後、今度は安和桟橋へ向かった。
ここも牛歩戦術だが、安和桟橋の入り口は信号があるので、信号に従ってゲートの前を横断する。しかし、しびれを切らしたダンプが、違法にも右からも左からも正面からも、歩行者優先を無視して突っ込んでくる。
港の中では、土砂が持ち込まれてうずたかく積まれていく一方で、さらにそれをもう一度積み込んで船まで運ぶためのダンプが港内を行き交う。
辺野古のゲート前は、テントもイスも木陰もあり、決まった時間以外は休息をとることもできるが、塩川、安和は、昼食時間以外はずっと歩きっぱなしだ。そんなところで毎日抗議行動に来ている人たちがいることを忘れてはならない。
まだダンプの 搬入が続く中、一部の人たちに後を託して3時過ぎ帰りのバスに乗り込んだ。那覇まで2時間近い帰路となる。
長い一日だったが、梅雨のさ中ながら、ちらつきはあっても傘をさすほどの降りではないかったのが幸いだった。