‘23慰霊の日点描 (5) 平和の礎 ~ 子どもたちの姿に「平和」を見た

 戦没者追悼式、国際反戦集会が終わって、もう一度平和祈念公園に戻り「平和の礎」に刻まれる祖父をはじめ、集団自決で命を奪われた渡嘉敷島の人たちの名前に手を合わせた。

 「平和の礎」は、その建立の目的を県民の意志として、こう記す。

 私たち沖縄県民は、去る沖縄戦などで貴い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表し、悲惨な戦争の教訓を後世に正しく継承するとともに、沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平を願い、太平洋戦争沖縄戦終結の50周年を記念して、ここに「平和の礎」を建立する。1995年6月

  

「平和の礎」周辺は、小さな子ども連れの若い家族であふれていた。

 永遠に燃え続ける「平和の火」の泉で、無心に水と戯れる子どもたちの姿を見ているだけで、こちらも自然に頬が緩み笑顔になる。「ああ!これこそが平和なのだ」と、胸がジンと熱くなった。

 

 

2023年6月26日リンクURL

‘23 慰霊の日点描 (4) ~ 国際反戦沖縄集会

 

県主催の追悼式の後は、市民団体が主催する「国際反戦沖縄集会」に参加した。コロナ禍でも休むことなく、40年の歴史を持つ民衆連帯の集会である。

 今年は、前花雄介さんのミニコンサート、普天間ゲート前でゴスペルを歌う会の歌声はじめ、高江・ヘリパッドいらない住民の会や辺野古ブルーの皆さん、沖縄と同じように米軍に抗う韓国からの平和グループ、他各団体から活動報告が行われた。

 「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」の皆さん

「カヌーチーム・辺野古ブルーの皆さん」

 「韓国で米軍基地に抗い、活動する平和グループの皆さん」

「在沖縄ミャンマー人会のみなさん 」

 今回は特に在沖縄ミャンマー人会の方々が、軍事権下で民主主義と人権弾圧の続くミャンマーの状況を報告。「ウクライナ戦争に世界の注目が集まり、ミャンマーのことは忘れられている。軍政下で人権も自由も奪われ、多くの命がウクライナ以上の悲惨な状況にさらされていいます」と、国際社会の関与を訴えた。

 国際反戦沖縄集会は、毎年「魂魄の塔」隣の広場を会場としている。身元の分からない戦没者の方々を祀った魂魄の塔は、家族や親族がどこで亡くなったかもわからず、遺骨が帰って来ていない遺族の方々が、ここにお参りに来る。今年もたくさんのお花や水などが供えられていた。帰り際魂魄の塔に手を合わせてから、もう一度平和祈念公園の「平和の礎」に向かった。

 

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‘23慰霊の日点描⑶ ~ 平和の詩 「今、平和は問いかける」

 ことしの「平和の詩」に選ばれたのは、那覇市にある私立つくば開成国際高校3年生の平安名 秋さんの詩「今、平和は問いかける」

 平和の礎に刻まれた兄の名を、涙しながら愛おしく指でなぞる祖母の姿から「平和」を問う。

「今、平和は問いかける」

夏六月
溶けかけたアイスを手に走り出す
緑萌ゆるこの島の昼下がり

礎に刻まれた「兄」に
まるであの日のように
そっと触れるおばぁの涙は
陽炎が登る摩文仁の丘に
ただ果てしなく広がっていく

その涙は体を包み込み
私を「あの日」へといざなう

限りないこの空は
何を覚えているのだろう
涙に満ちたおばぁの瞳は
何を語りかけているのだろう

七十八年前の
あの日
あの時
かけがえのない
たったひとつの命が
憎しみと悲しみの中で
散っていった

名も無き赤子の
微かな
微かな泣き声は
震える母の手によって
冷たく光の無いガマの中で
儚く消えていった

幾多もの砲弾が
紺碧の海を黒く染める鉄の嵐となって
この島に降り注いだ

戦争が起きる前
そこには日常があった

私達と同じように
原っぱを駆け回り
友達とおしゃべりをする
みんなで暖かいご飯を食べ
時には泣き
時には笑い
時には「ありがとう」を伝える
 
そんな今と変わらない日常が
平和が
そこにはあった

平和は不確かで
脆く崩れやすい
いつもすぐそばにあるのに
いつのまにか消えていく

おばぁの涙は
摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は
今、私達に問いかける

平和とは何かを
私達に出来ることは何かを

私は過去から学び
そして未来へと語り継いでいきたい
おばぁの涙を
沖縄の想いを

かけがえのない人達を
決して失いたくはないから

今日も時は過ぎていく
いつもと変わらずに

先人達が紡いできた平和を
次は私達が紡いでいこう

そして世界に届けていきたい
平和を創り
守っていく
この沖縄の「チムグクル」を

 

2023年6月25日リンクURL