陸自「沖縄戦は本土決戦の準備が整うまでの時間稼ぎ 」認める!

 見出しに「32軍は偉大な貢献」とあるので、「県民に貢献した」と言っているのかと早とちりしたが、本土決戦までの時間稼ぎに貢献したと、つまり沖縄を「捨て石にした」ことを何の衒いもなく認めている。これもまた、ある意味沖縄を侮っているいるとしか言いようがない。「ウチナー ウシェーテェ ナイビランドー!」

                <5月15日 琉球新報>

 53年前の5月15日、その日職場は24時間全面ストライキ。雨の中をずぶ濡れになりながら、与儀公園から国際通りをデモ行進したことを覚えている。当時、沖縄県民の「涙雨」と言われた。恋焦がれた「復帰」。うれし涙のはずだった。現実は怒りと悔しさの涙だった。

 

2025年5月15日リンクURL

「戦争体験者として絶対に許せない!」~ 辺野古にて島袋文子さん

 辺野古へ向かうやんばる路(沖縄自動車道)は、梅雨の花・いじゅが真っ盛り。

 いじゅの花も咲き、しばらく雨の日が続いて梅雨入りかと思ったら、今日から夏日の晴天が続くとの予報。座り込みには厳しい夏がやってくる。

 1回目の座り込みは、 5・15平和行進の週でもあり、韓国・済州島や 北海道、千葉など県外からの参加者も多く、あさイチから40名近くが座り込んだ。

 島袋文子さんの元気な姿も見える。

 この日一番の話題は、やはり沖縄戦の歴史認識をめぐる「自民党・西田発言」「参政党・神谷発言」。言葉に尽くせないほどの苛烈な沖縄戦を生き抜いてきた島袋文子さんにマイクが向けられた。

「私は戦争体験者として絶対に許せない。戦争のことを全くわかっていない。日本軍は、ウチナーンチュを”スパイだ!”と言って殺した。私は目の前で殺される人を何人も見た。避難していた壕から追い出され、死んだ人もたくさんいる。日本軍が沖縄を守る?絶対にありえない」と憤った。

 怒りの中にあっても座り込み抗議行動は、歌や踊りにあふれ、しなやかにしたたかに行われた。機動隊に囲まれながら笑顔で踊る女性。

 

 

 私は、午後から次の日程があり、午前中で辺野古を離れ、いじゅの花を眺めながら怒りの気持ちを癒しつつ、またやんばる路を沖縄市まで戻った。明日(15日)以降、5・15関連の日程が続く。

 

5月15日(木)18:00 ~ 5・15特別講演会「なぜ?、沖縄、日本、米国はこうなったか?」 講師:内田雅敏弁護士 場所:教育福祉会館 主催:沖縄9条連

5月16日(金)14時集合、15時開始~ 平和行進結団式(那覇市民会館なはーと) 韓国から参加団

5月17日(土)8時30分~ 平和行進出発式(嘉数高台公園) 9時~行進開始 11時に宜野湾市民会館で昼食・休憩

13時30分~行進再開 15時に北谷スタジアム、同所で15時30分~県民集会  韓国から行進参加団

5月18日(日)午後 金城実アトリエで交流会など

 

2025年5月15日リンクURL