8時20分辺野古へ到着すると月桃の花が出迎えてくれた。うりずんを象徴する花だ。我が家の庭でも咲き始めている。
「80年前、砲弾が雨あられと降る戦場を逃げ回ったときを思い出すから、月桃は好きではない」という人に出逢ったことがある。美しい花をめでることが出来ないなんて、なんと苦しく悲しいことか。月桃が咲くといつもこの人のことを思い出して胸が苦しくなる。
数少なくなった戦争体験者・島袋文子さんとともに今日(28日)も辺野古ゲート前に座る。
「排除するなら、排除されよう!自ら立ち上がることはしない!」と水曜日ゲート前行動の現場責任者・高里鈴代さんは、県警機動隊に向かって宣言した。
抵抗のスタイルは人それぞれ。それも否定しない。
この日の新聞は、オール沖縄の議員団が、「辺野古埋め立てのために海砂を剥ぎ取られ、荒廃する北部の海岸を視察した」と伝える。
戦争・人殺しのための基地造りで、森や山、海がが荒らされるだけでなく、美しいサンゴの砂浜までが失われている。そんなことは絶対にあってはならない。
人も含めすべて自然界の命は連鎖・循環している。それぞれ単独では生きられない。豊かな自然環境を失うことは、住民の暮らしや命に繋がる問題だ。自然を守ることは、私たちの命を守ることなのだ。砂浜の破壊を許してはならない。