またまたブログの更新が滞っているのは、決して怪我(右肩骨折)のためではありませんので、ご心配なさいませんように。でも、怒涛のような3週間近くの日々であったことは確かです。
閏2月29日未明、沖縄との関りも深く、私にとっては人生の恩師ともいえるもろさわようこさん(99歳)が亡くなり、50年近く沖縄でのもろさわさんと身近に接して来た者として、メディアの取材攻勢やお別れ会の対応、気持ちの整理に追われてのことでした。
まだまだ振り返る気持ちの余裕はありませんが、新聞等で取り上げられた関連の記事を紹介して、遅ればせながら、とりあえずの報告とさせていただきます。


<3月1日 琉球新報>
また、今年の3・8国際女性デーでも、もろさわさんのこれまでの活動が話題として全国的に取り上げられたのも、彼女が、市井の女性たちに与えた影響の大きさが認知されていることを確認することが出来、嬉しいことでした。

ご本人の意志により、いわゆる告別式は行われなかったのですが、ごく身近な人たちだけで、お別れの会が、もろさわさんが最後をお過ごしになった神奈川県川崎市で、3月6,7日ささやかに執り行われました。
後日、関りの深かった沖縄、高知、長野の地で、それぞれ関係者による「しのぶ会」が行われることになっています。









辺野古住民訴訟の東恩納琢磨共同代表。「日本と言う国はここまで堕ちてしまったのか。しかし、そんな国に私たちは立ち向かわなければならない。いかに門前払いされようとも、私たちには訴える権利がある。国を変えるのは私たちだ。裁判を通して、国がやっていることを国民へ知らせていく。国会を包囲して世界に訴えていくことも考えている」

メンバーを代表して安里邦夫さん。「辺野古の海は、7年前、青く澄み、多様な生き物が豊かな素晴らしい海だった。海上行動は、







