76年目の慰霊の日 ① ~ 平和の 礎

 

 今日沖縄は76年目の慰霊の日を迎えた。コロナ禍で多くの慰霊行事が中止、もしくは規模縮小を余儀なくされた。それでも人々の足は思いを抱えて摩文仁へと向かう。

 敵味方を問わず、実に24万余の沖縄戦全戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」。今も新たな刻銘の努力が続けられている。今日もたくさんの家族連れが訪れていた。

 今日は慰霊の日には珍しく雨。時折り激しく降る雨の中も厭わず、礎に花や供物をささげ、手を合わせる人々。

 刻まれた肉親の名前を愛おしそうに何度も何度も指でなぞる姿に胸が詰まる。夫だろうか?お子さんだろうか?親かもしれない。

 私も祖父の名前に花を供え、手を合わせた。同じ画面に親戚の名前を見つけた。供えた花が名前にかかり、まるで「見つけて!」と指さしているかのように…。来年は忘れずに名前を呼び、祈りをささげよう。

 礎の隣にある広場では、県主催の「追悼式」の準備が進められていた。昨年に続いて2度の規模縮小は招待者30名限定の開催となった。

 総理など政府関係者や米軍関係者の出席がないため、仰々しい防護壁や警備もなく、本来の厳粛な祈りの場にふさわしい「追悼式」になりそうだ。

 会場との仕切りは一本のロープが張られているだけで、招待者だけでなく、誰もが周囲から見守ることができる。スピーカーを通して声も聞こえる。実質的な参加と同じではないか!思わずマスクの下のほほが緩んだ。

 まだ時刻は10時過ぎ。正午前からの開式までには時間があるので、いったん平和記念公園を離れ、「魂魄の塔」に向かった。

 

 

 

2021年6月23日リンクURL

慰霊の日を前に

 沖縄は明日23日、戦後76年目の慰霊の日を迎える。新聞をはじめ各メディアでは沖縄戦の話題が連日紙面を埋めている。ただ、実際に地獄の沖縄戦を生き抜いてきた方々にとって、6月の日々は、心と身体の傷跡が疼きつらいときであることも、知っておかなければならない。


 年々戦争体験者が減り続けていく中で、沖縄戦の実相をどのように次の世代に伝え引き継いでいくかは、いま大きな課題だ。コロナ禍で入館者が激減し、施設の運営が難しくなっているひめゆり資料館や対馬丸記念館、摩文仁の丘を中心に各地に建てられた慰霊碑さえも継承者が無くて消えていくものも少なくない。

 

 そんな中で、老朽化した「白梅の塔」の修繕費をクラウドファンディングで呼びかける運動が広がっている。(以下20日、琉球新報記事より)

 白梅学徒隊として戦地に動員された沖縄県立第二高等女学校の学徒らを追悼する白梅之塔周辺施設の老朽化で、修繕計画への支援が広がっている。現地慰霊祭の継承などを目的に活動する「若梅会」は15日から修繕費を募るクラウドファンディングを開始したが、1週間で目標額の約7割となる131万円(21日午後5時時点)が集まった。目標金額は188万円で、8月31日まで。

 若梅会は白梅同窓会の中山きく会長(92)の呼び掛けで結成した。塔周辺はコンクリートの通路や階段の劣化が目立ち、大けがを負う人も出た。若梅会は同窓会や遺族が安心して来られるよう塔周辺の修繕・整備を計画する。いのうえちず代表(52)は「多くの人が沖縄戦継承に熱い思いを持つことに改めて驚いた。きくさんが続けてきた活動があちこちで実を結んでいる」と語った。

 クラウドファンディングを運営する琉球新報社では現金書留による送金の受け付けも開始する。宛先は〒900―8656、郵便事業(株)那覇支店私書箱15号、「白梅之塔周辺修繕」プロジェクト係まで。

2021年6月22日リンクURL

具志堅さん再びハンスト ~ 辺野古新基地設計変更不承認を求めて

 遺骨収集ボランティア・ガマフヤー代表の具志堅隆松さんが、一昨日から再びハンストに突入した。
 19日、20日は県庁前で、今日から慰霊の日の23日まで平和記念公園で、それぞれ5人の支援者と共に5日間のハンガーストライキを行っている。

 玉城デニー知事に、翁長武志知事のことばで呼びかける「デニー、負キテーナランドー」 

 多くの市民が足を止め、具志堅さんに声をかけたり、署名とカンパに協力、この問題への関心の高さがうかがえた。

 同じく沖縄戦で親族を失った韓国の遺族からのメッセージも届いている。

 また、昨日は午後3時から、同じ場所(県民広場)で、重要土地規制法に抗議する集会も行われ、高良鉄美参議院議員や、照屋守邦氏、高良沙哉琉大教綬など法律の専門家をはじめ、基地周辺の住民などが、「権力者の裁量でいくらでも都合のいいように解釈を曲げ運用することができる」と、この法律の悪法たる所以を訴えた。

 

2021年6月21日リンクURL