76年目の慰霊の日 ④ ~ 2021年 平和の詩


みるく世の謳(うた)

宮古島市立西辺中学校二年 上原 美春

12歳
初めて命の芽吹きを見た。
生まれたばかりの姪は
小さな胸を上下させ
手足を一生懸命に動かし
瞳に湖を閉じ込めて
「おなかすいたよ」
「オムツを替えて」と
力一杯、声の限りに訴える

大きな泣き声をそっと抱き寄せられる今日は、
平和だと思う。
赤ちゃんの泣き声を
愛おしく思える今日は
穏やかであると思う。

その可愛らしい重みを胸に抱き、
6月の蒼天を仰いだ時
一面の青を分断するセスナにのって
私の思いは
76年の時を超えていく

この空はきっと覚えている
母の子守唄が空襲警報に消された出来事を
灯されたばかりの命が消されていく瞬間を

吹き抜けるこの風は覚えている
うちなーぐちを取り上げられた沖縄を
自らに混じった鉄の匂いを

踏みしめるこの土は覚えている
まだ幼さの残る手に、銃を握らされた少年がいた事を
おかえりを聞くことなく散った父の最後の叫びを

私は知っている
礎を撫でる皺の手が
何度も拭ってきた涙

あなたは知っている
あれは現実だったこと
煌びやかなサンゴ礁の底に
深く沈められつつある
悲しみが存在することを

凛と立つガジュマルが言う
忘れるな、本当にあったのだ
暗くしめった壕の中が
憎しみで満たされた日が
本当にあったのだ
漆黒の空
屍を避けて逃げた日が
本当にあったのだ
血色の海
いくつもの生きるべき命の
大きな鼓動が
岩を打つ波にかき消され
万歳と投げ打たれた日が
本当にあったのだと

6月を彩る月桃が揺蕩(たゆた)う
忘れないで、犠牲になっていい命など
あって良かったはずがない事を
忘れないで、壊すのは、簡単だという事を
もろく、危うく、だからこそ守るべき
この暮らしを

忘れないで
誰もが平和を祈っていた事を
どうか忘れないで
生きることの喜び
あなたは生かされているのよと

いま摩文仁の丘に立ち
私は歌いたい
澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ
今日生きている喜びを震える声帯に感じて
決意の声高らかに

みるく世ぬなうらば世や直れ

平和な世界は私たちがつくるのだ

共に立つあなたに
感じて欲しい
滾(たぎ)る血潮に流れる先人の想い

共に立つあなたと
歌いたい
蒼穹(そうきゅう)へ響く癒しの歌
そよぐ島風にのせて
歌いたい
平和な未来へ届く魂の歌

私たちは忘れないこと
あの日の出来事を伝え続けること
繰り返さないこと
命の限り生きること
決意の歌を
歌いたい

いま摩文仁の丘に立ち
あの真太陽まで届けと祈る
みるく世ぬなうらば世や直れ
平和な世がやってくる
この世はきっと良くなっていくと
繋がれ続けてきたバトン
素晴らしい未来へと
信じ手渡されたバトン
生きとし生けるすべての尊い命のバトン

今、私たちの中にある

暗黒の過去を溶かすことなく
あの過ちに再び身を投じることなく
繋ぎ続けたい

みるく世を創るのはここにいるわたし達だ


2021年6月24日リンクURL

76年目の慰霊の日 ③ ~ 具志堅さんハンスト5日目(最終日)

 ガマフヤー・具志堅隆松さんのハンガーストライキは、県庁前から場所を移して、21日から平和記念公園で行われた。

  県主催の「追悼式」会場のすぐ隣で、支援者とともに5日目最終日を迎えた。平和の礎を訪れた多くの人たちが激励の声掛けや署名、カンパをする姿が見られた。

 平和記念公園に戻ると丁度「追悼式」が始まったところだった。魂魄の塔を出るころから雨が激しくなり、追悼式の様子はラジオの実況中継をカーラジオで聞いた。

 玉城デニー知事の「平和宣言」、毎年話題になる児童生徒による「平和の詩」、澄んだ清々しい声が心に沁みた。(詩は別項で紹介する)

 追悼式終了後、デニー知事が具志堅さんの激励にテントを訪ねるとの情報に、大勢の人が大雨の中びしょ濡れになりながら待っていた。

 予定より30分遅れてやってきたデニー知事に「設計変更は承認しないでください」と訴え、「遺族の声を聞いてください」と、遺骨がまだ帰ってこない遺族の女性を紹介した。

 沖縄戦で祖父を亡くした比嘉ハツ子さんは「戦没者の遺骨が混じる土で新しい基地をつくることは、遺族として絶対に許せない。知事の力で、辺野古の埋立てを止めてください」と訴えた。「できることを一生懸命やりたい」と答えた知事に、集まった人々の間から拍手が起こった。

 

2021年6月23日リンクURL

76年目の慰霊の日 ② ~ 魂魄の塔

 まだ10時過ぎだったが、慰霊碑の前にはすでにたくさんの花やお供え物でいっぱいだった。

 戦後3か月から半年たって捕虜収容所から解放された人々がふるさとの地に戻ると、累々たる白骨が野ざらしになっていた。地域の人々が力を合わせて拾い集めた遺骨を、一か所に集めて祀った場所が「魂魄の塔」である。 遺骨は誰ともわからず、後に国立墓苑が建立されまとめて納骨された。

 国内唯一の地上戦となり、3か月間にわたり鉄の暴風が吹き荒れた沖縄戦は、自分の家族がいつ、どこで、どのように最後を迎えたのかもわからず、お墓に遺骨はない。そういう遺族は慰霊の日には「魂魄の塔」にお参りする。

 ここ魂魄の塔から200㍍ほどのところに、いま問題になっている辺野古埋め立て土砂の採掘を始めた熊野鉱山がある。「遺骨混じりの土砂を辺野古の埋立てに使うな!」と、沖縄の人たちが反発する背景がここにある。

 

 折り鶴で描かれた「平和」の文字に添えられたメッセセージは、「私たちと軍事・軍隊の共存はできない」沖縄の思いを、私たちも応援します。

 

 例年、ここ魂魄の塔の横の広場で、市民グループ主催の「国際反戦集会」が行われるが、昨年に続き今年もコロナ禍で中止となり、ネット配信となった。

 

 

 

2021年6月23日リンクURL