辺野古に咲け! 赦しの花「撫順の朝顔」                       

 2日(水曜日)、辺野古テント前の植栽の傍らに、「撫順の朝顔」を植えました。


 「撫順の朝顔」については少し説明が必要ですね。

<撫順の朝顔>

 撫順とは中国の東北地方にある地名です。撫順には第二次大戦後の1951年、日本軍戦犯の収容ができ「撫順戦犯管理所」と呼ばれていました。そこにはシベリア捕虜だった元日本軍将兵969人が、ソ連から中国に移管され、収容されていました。

 満州事変から第二次大戦にわたる15年戦争の中で日本は、中国各地で実に軍民が一体となって4000万人ともいわれる中国人民を、残虐の限りを尽くして殺戮しています。敗戦によってその罪が問われることになるわけですが、それら戦争犯罪者の裁判や再教育などを担った施設の一つが「撫順戦犯管理所」です。(ここでは詳細を避けますが、日本による中国人虐殺についてはネットで「万人抗」「撫順戦犯管理所」などで検索すると、朝顔の種を分けて下さった方のものも含め、たくさんの記事が検索できます)

 自らが犯した行為を顧みて、同じような仕打ちを受けて殺されても仕方がないと覚悟した日本人戦犯たち。しかし、撫順戦犯管理所では、強制労働もなく三度の米の食事に、医療など徹底した人道的な待遇を受けたと言います。しかも、 1956年の瀋陽軍事法廷で、45人の有期刑を受けた者以外はすべて不起訴、即日釈放。有罪の者も満期前に帰国を許され、死刑はなかったそうです。

 戦犯管理所の職員の中には、家族を日本人に虐殺されたものも多くいて、日本人戦犯に対する厚遇に「納得できない」と反発する者もいたそうですが、当局は「報復は報復の連鎖を生み、決して平和にはつながらない」と、そのつど納得するまで徹底的に話し合って解決したということです。

「赦しの花・朝顔」

 1956年、瀋陽軍事裁判で不起訴・即釈放となった日本軍戦犯たちが帰国するとき、戦犯管理所の職員が、一人の元戦犯に 「もう二度と武器を持ってこの大陸へ来ないでください」 「日本へ帰ったら、きれいな花を咲かせて幸せな家庭を築いてください」 と言って朝顔の種を渡したのです。

 元戦犯だったその人は、日本に帰国してから毎年朝顔を育て種をとり、「撫順の朝顔」の種を多くの人たちに広めながら、日本が中国で行った殺戮行為を伝え、撫順戦犯管理所での出来事を語り継ぐ活動をしています。それが「赦しの花・撫順の朝顔」として全国に広まっているのです。

 偶然に「撫順の朝顔」のことを知り、ある方から種を分けていただくことになりました。いただいた種を植えて5日目には芽を出し、さらに一週間では定植できるほどにすくすく伸びています。    

 私たちがよく見かける朝顔は、葉先が三つに分かれたものがおなじみですが、撫順の朝顔はハート形、葉も花も一般的な朝顔より小ぶりだそうです。(花の咲いている写真は、ネットから拝借しました)

 沖縄でも広めたいと思い、まずは我が庭と家族たちと友人たち、そして何より辺野古で花を咲かせたいと願って苗を植た次第です。

 無事花を咲かせることができたら、また報告します。

 

 

2021年6月4日リンクURL