49年目の5月15日 ~ 「日本」は本当に祖国なのか

 ここに一冊の本がある。「ドキュメント  沖縄5月の10日間」(柳田邦夫編 中央公論社)

 49年前の5月15日、沖縄で生活している人々が、日々の暮らしを営みながら、どんな持ちでその日を迎えたのか、日記形式で記したドキュメントである。

 目次を見ると、屋良朝苗 沖縄県知事はじめ、小学生、公務員、コザ吉原・娼婦、教師、警察官、ジャーナリスト、クラブ・ホステス、タクシー運転手、医師、米軍兵士、弁護士、店員、無職等々、それこそ様々な職業の人たち68が名を連ねている。

 アメリカ世からヤマト世へと切り替わる歴史的な大転換のその日・5月15日をはさんだそれぞれの10日間の記録が、さまざまな沖縄の姿を浮き彫りにする。

 中身をすべて紹介するわけにはいかないので、各人のタイトルを列記する。

<日本は本当に祖国なのか><私は日本人を好いてはいない><白々しい”平和で豊かな島”><まるで戦争前夜のよう><君が代が戦争の歌に聞こえる><祝うものか抗議するものか><屈辱の日がやってきた><誰のために復帰するのか><死んだ人たちをおもう><権力としての母国がある><茶番記念日><腹立たしくやりきれない気持ち><金がある者だけが生き残る>etc……。

 私はと言えば、当時ラジオ局の報道部に勤めていた。その日労働組合は24時間の全面ストを打ち、本来なら抗議の県民大会へ参加するところだが、報道機関としては、この歴史的な出来事を記録し、伝える役目がある。

 私は保安要員ということで、東京キー局と共同制作の特別番組「5・15沖縄はいま」のスタッフとして残され、那覇市場から市民の様子を伝える生中継を担当した。人々にマイクを向けると物価高を嘆く声、「これからどうなるのか」と不安と戸惑いの声が多く聞かれた。いらだって向けたマイクをたたく人もいた。

 番組が終わると同時に、県民大会が開かれていた与儀公園に駆け付けたが、集会はすでにデモ行進に移っており、職場仲間の隊列を見つけることができず、会場入り口から出てきた一群の中に飛び込んだ。

 降り続く土砂降りの雨の中のデモ行進。梅雨の冷たい雨も人々の熱気を静めるどころか、むしろ駆り立てているように思えた。激しいジグザグデモに飲み込まれた。

 前夜も仕事で午前3時の帰宅だったが、この夜もなかなか寝付けないまま5月15日が過ぎて行った。

「復帰して良かったですか?」と、よく聞かれる。出かかった言葉を飲み込む。言いたいことはたくさんある。しかし、言いたくない。言えば空しくなるだけだ。第一、あのとき沖縄の人々に「NO」とか「YES」とかいう権利があったのか?逆に聞きたい。それは、いまも同じだ。状況は少しも変わっていない。半世紀たっても…。

 

 

 

2021年5月15日リンクURL