ガマフヤー・具志堅さんハンスト最終日 ~ 世界に広がる賛同の声

 遺骨収集ボランティア・ガマフヤー代表・具志堅隆松さんが、戦没者の遺骨が眠る南部地域からの辺野古埋め立て土砂採掘中止を求めて行っているハンストは、今日(6日)、6日目・最終日を迎えた。 

 

 具志堅さんは、ハンストの6日間、賛同者3名とともにこのテントで昼夜を過ごし、ハンガーストライキを貫徹した。

 最終日の今日、午前9時過ぎ、玉城デニー知事がテントを訪れ、具志堅さんを激励、要請文を受け取ったという。

 

 午後1時半から行われた締めくくりの集会で具志堅さんは「中止と言う答えは持ってこれなかったが、デニー知事がテントを訪ねてくれたことはとても嬉しい。『どういう形で結論を出していくか、一生懸命検討している。南部だけではなく、県全体に関わることとしての答えを早く見つけたい』と言ってくれた。知事の一生懸命さが伝わった。この重荷は知事一人で背負うものではない。みんなで考えることである」と喜んだ。

 

 

 ハンスト最終日と知って会場の県民ひろばには多くの県民が、署名とカンパに訪れ、集会に参加した。

 ”帆掛けサバニの帆の寄せ書き”をバックに挨拶する具志堅さん。韓国から寄せられた沖縄戦戦没者遺族の、連帯のメッセージを読み上げ、「『すぐにでも駆け付けたいが、コロナで沖縄に行けないのがとても苦しく、悲しい。韓国の人々もたくさん沖縄戦に動員され、ほとんどの遺骨が戻っていない。東アジアの平和を祈願する。再び戦争が起きてはならない。日本政府は沖縄のすべての基地を撤去するべき。韓国の遺族たちの思いを込めてメッセージを送る』。このように賛同が世界に広がっている。自信と誇りをもって、運動を続けましょう!」と呼びかけた。

 「南部の土砂問題」が大きく表面化して以来具志堅さんを支援、行動を共にしてきた北上田毅さんは「具志堅さんの今回の行動が、この問題をめぐる情勢を大きく変えた。県民の高まった思いをどう実現していくか、特に魂魄の塔の横で行われている新しい鉱山開発に対して、間もなく知事が断固とした結論を出してくれるものと確信している。

 この間、具志堅さんはハンストをしながら、テントに尋ねてくるたくさんの人々やメディアに丁寧に対応し、知事要請、県議会傍聴などを連日超人的にこなした。

 外国記者クラブとのネットによる記者会見には40社の海外メディアが参加、関心の高さがうかがえた。具志堅さんが、”この問題は政治的、あるいは基地に賛成、反対の問題ではなく、人道的な問題。また沖縄県民の戦没者だけでもなく、沖縄戦には全国に遺族がいて、これは人間の尊厳を守るためのたたかいである”と訴えた。とくに、米兵にも293名の行方不明者いると伝えると、外国人記者たちの間から驚きの声が上がった」と、報告した。

 集会では、具志堅さんと6日間のハンストを共にした「平和を守る宗教者の会」のメンバーや、90代の二人の戦争体験者も意見を述べた。

 この集会の模様は、総理官邸前で行われている東京での連帯集会とネットで結び、生中継された。

 また、集会に先立ってオール沖縄会議の抗議声明文が発表され、共同代表、顧問らがそれぞれにあいさつした。

 さらに、ガマフヤー支援者有志による「ハンスト第2弾」が、3月15日から行われる予定

 

 

 

2021年3月7日リンクURL

ウチナァー、クルサッテーナイビランドー(沖縄 殺されてはいけませんよ! ~ 今日(3月3日)の辺野古

 県独自の緊急事態宣言の解除に伴い、辺野古の組織的抗議行動が再開されたので、今日は久しぶりにバスで辺野古へ向かう。

 

 

 

 

 

 途中、伊芸サービスエリアの植栽に、満開になったツツジが色鮮やかで目に痛いほど。この花たちのように、今日一日が清々しく穏やかでありますようにと願う。

 

 9:00前、第一回目の座り込み。今日は、安和桟橋と塩川港の抗議行動が、海のしけで中止になったため、糸満島ぐるみ、北部地区労など、安和・塩川に行く予定の皆さんも辺野古に合流。一回目から40人余が座り込んだ。

 県民よ 立ち上がろう。二度と血の雨を降らさせない!島袋文子さんの車いすに立てられているのぼり。

 抗議行動の人数が多いと見込んだのか、今日は機動隊の数もやたらと多い。

 今日の機動隊は、どうも気が短いようだ。出てくるなりすぐには排除を始めた。ゆっくり移動していると、「早く!」と背中を押して急かす。指揮官はスピーカーの声を張り上げ、命令口調で怒鳴り続けている。

 コロナ感染対策のため、「自主的に立ち上がって移動するので、身体に触れる強制排除はしないで!」と機動隊にも申し入れ、これまではお互いの立場を尊重しつつ、節度を持って対応してきたはずだった。今日は指揮官はじめ機動隊員が、威圧的で強権的だ。 

 搬入の工事車両が途切れ、私たちがゲート前をデモ行進する間も、民間警備員と挟み撃ちのように威圧的な規制をした。

 緊急事態宣言中は、 マイクを使っての発言を控え、休憩時間の集会も自粛していたが、今日から参加者同士の近況報告、活動報告なども再開した。

 今日は県外からの参加も2~3人あり、「コロナ禍で2回、3回予定を変更せざるを得ず、やっと来れました!」という。

 糸満島ぐるみのメンバーからは、いま問題になっている南部地域からの遺骨交じりの土砂採集への取り組みが報告された。

 戦没者の遺骨収集は国の責任と謳った”沖縄遺骨収集推進法”が制定されたのはわずか数年前の2016年、それまでは具志堅さんたち民間ボランティアが行ってきた。今回の戦跡地での土砂採集は、その法律の精神に反する。国内唯一の”戦跡国定公園”の破壊にもつながる。

 また、一帯は沖縄平和祈念公園公園で、当時の太田昌秀知事が、北部の山に決まっていた全国植樹祭を、戦争で丸裸になった南部の戦跡地にすべきと変更誘致し、そこがみどり豊かな平和公園になったもの。植樹祭の精神にも反する。農業用地まで手続きもなしで開発しようとしていた。

 魂魄の塔近くの熊野鉱山は、その名の示す通り和歌山県にある企業。辺野古利権にあやかろうとする県外企業だ。沖縄は再び殺されてはならない。辺野古の海を埋める土砂のすべてを宮古、八重山を含めて沖縄全土から調達、その60%を南部地域から採掘するという。沖縄の山野の地形を変えるほどに破壊してまで、辺野古基地を造らないといけないのか!沖縄は、また、殺される!うちなぁ、殺さってーないびらんどー!

 <触らないで!!>

 2回目、3回目の座り込みに機動隊はさらに強権的になり、小さなことにもいちいち目くじらを立てた。市民の側も普段は発言もなくおとなしい人たちまでが、口々に抗議の声をあげたため機動隊の指揮官と双方で言い合う形となり、現場は騒然となった。市民側のリーダーが「中隊長!話し合いましょう」と言っても聞く耳を持たない。興奮する指揮官に、別の機動隊員が制止しようとする場面もあり、あきれて市民の側からその場を引き揚げてきた。この混乱おかげでいつもより帰るのが30分も遅れてしまった。

   

 

 

 

 

 テントに戻る途中のメインゲートに戦闘服の米兵が3人、ゲートの両脇で機関銃を構え警戒していた。基地の中で何かあったのだろうか?

 基地のそばではいつも、戦争を彷彿とさせるきな臭い場面に出会う。朝の花々への祈り・願いは叶わなかった。

 

 

 

 

 

2021年3月4日リンクURL