抗議行動休止9日目 ~ 今日(8月12日)の辺野古

 辺野古へ向かう途中 、紺碧の空に浮かぶ白い雲が、今日はいつにも増してきれいだった。台風5号、6号は、沖縄本島にはほとんど影響がなかったが、台風一過の澄んだ青空がまぶしい。

 8:00過ぎ辺野古へ到着すると、座り込みテントは台風対策(5号)のため、屋根のシートが取り外され、骨組みだけになっていた。

 幸い大きな琉球松やモクマオウの大木が、木陰をつくってくれているので、休憩時間の暑さは、かろうじて凌げる。

 

 午前9時の第一回搬入に備えて、まずは10数人が座り込んだ。まとまっての抗議行動は「休止」ということになってはいるが、来たからには坐りこまずにはいられない。十分なソーシャルデスタンスをとって座る。

やがて、県警のパトカーに先導されてコンクリートミキサーの車列がやってきた。民間企業が業務するのに、県警のパトカーが、一日中(しかも数年にわたって)専従で警護するということが許されるものなのか、どうも納得がいかない。

いずれにしても、辺野古の新基地建設は、警察権力の動員なしでは、一歩も進まない公共工事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「コロナの感染を防ぐため、県警のごぼう抜きは避ける」ということにしているため、瞬く間に排除されてしまう。

 工事車両が入った後も、ゲート前を行進。ささやかでも抵抗の姿勢を示す。

 正午の2回目の搬入に向けて、やはり十数人で座り込む。天気が良いのは、本来ならうれしいことのはずだが、炎天下、アスファルトの照り返しを受けながら滝汗で座っていると、めまいをを起こしそうで、キャンプ・シュワブ上空の、雲一つない青い空が恨めしくなる。

 1回目は生コン車が多かったが、2回目はすべて捨て石、砂利、砂を満載したダンプのみ。ジュゴンや海亀、サンゴの海にこのような石やセメントが撃ち込まれていると思うと、たまらない気持ちになる。

 今日も3回の搬入で、合計269台の工事車両が入った。

 

 テント横の花壇のハイビスカスがいっぱい花をつけていた。やっぱり暑い夏がうれしいのだろうか!

 農業や家庭菜園をしている方々からのうれしい差し入れ。ゴーヤー、ナーベーラー(ヘチマ)ジャガイモ。沖縄の典型的な夏野菜だ。元気いっぱいの野菜たちに、改めて土のすごさを感じる。コロナ禍で農業(自然のありがたさ)が見直されているという。やはり人間は地(土)に足をつけて生きるのが健全だと思う。

 

 

 

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翁長前知事三年忌 ~ 今も県民を励ます翁長知事の「言葉」

 今日8月8日は翁長雄志前知事が亡くなってまる2年、三年忌を迎える。翁長さんが、それこそ命をかけた米軍基地をはじめとする沖縄問題は、2年前と少しもわかっていない、どころかますます厳しさを増しているが、それでも平和を願う県民がめげずに戦い続けていられるのは、翁長さんが遺した数々の「言葉」が、人々を励まし続けているからである。

 この本の表紙にもある「ウチナーンチユ、ウセーティナイビランドー(沖縄人をバカにするな!)」や「ウチナーンチュ、マキテエナイビランドゥ(我ら沖縄人、負けてはいけませんよ」は、辺野古ゲート前など闘いの現場でよく使われる。

 その他にも、的を射た真実を見抜く数々の「言葉」が、今も私たちを励ます。

『日本を取り戻す」という中に沖縄は入っているのですか』(2015・9・8 県と政府による集中協議の会合にはじめて出席した安倍首相に問いかけた言葉)

2015年、相次いでオスプレイの事故が起こり、米国に対し抗議一つできない国に対し、日本政府は、沖縄県民を日本人とは思っていない」とも。

 さらに、米国にものが言えない政府に、『何回も言うが、当事者能力がない』 (2017年、オスプレイ事故後、訓練開始についての県からの問い合わせに対し「米軍の運用に関わることで、応える立場にない」と回答した沖縄防衛局に返した言葉)

『基地問題が、一番大きな人権問題だ』(2015・9・22 国連の人権理事会で、翁長知事が行った声明発表に対し、日本政府代表部が「基地問題を人権理事会で取り上げるのはなじまない」と反論したことに、翁長知事が再反論したときの言葉)

『いつも米国は東京のせいにし、東京は米国に何も言えない。この状況の中で、沖縄の問題が全く解決しない。日米の安全保障体制は、沖縄という砂上の楼閣に乗っかっている(2017・11・20 米兵が飲酒運転で死亡事故を起こし、知事室に謝罪に訪れた在沖米軍トップ・ニコルソン四軍司令官に対していった言葉)

 「その後ろ姿を見せることで、子や孫がその思いを吸収し、彼らなりに沖縄の将来を担っていくことにつながる。私たち責任世代の役割はそこにあるのではないか」(2015年・12・25 県は国を相手にいくつもの裁判を起こした。負け続けても、また新たな裁判を闘う意義を語った言葉)

◇参照:「沖縄県知事 翁長雄志の「言葉」沖縄タイムス社発行」

 翁長知事の言う「私たち責任世代」、まさに私もその一人である。改めて、本当に沖縄を愛し、命の限りを尽くして強大な日米国家権力に抗った稀有の政治家だったと感じ入り、胸が熱くなる。

 

(2020年8月8日 琉球新報 ↓)

 

 

 

 

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抗議行動休止2日目 ~ 今日(8月5日)の辺野古

 コロナの感染拡大を避けるため、昨日4日からやむなく休止となった辺野古新基地建設関連の抗議行動。しかし、工事は止まったわけではないので、各曜日の担当グループが監視活動は行うこととなった。
 水曜日担当の平和市民連絡会の一員として、仲間の車で辺野古へ向かう。

  早朝の沖縄自動車道は、霧に包まれ、昇ってきた太陽が、「月か?」と見間違うほど朧にかすんで、大きく見える。

 そういえば昨夜は満月だった。忙しさに紛れて、満月を拝むことも忘れていたと気が付き、改めてお月様を眺めるつもりで、霧にかすむ太陽を見つめ直した。

(※沖縄気象台によると、今日のカスミは霧ではなく、地上のちりやほこりなどの乾いた微粒子が大気中に舞って視界が悪くなる「煙霧」現象とのこと)

 8:00、いつもより早めに辺野古到着。私たち以外に誰もいない。

 テント横の花壇に涼し気に咲く白い草花が出迎えてくれた。

 「抗議行動休止」とは言っても、やはり10名余が座りこんだ。ソーシャルディスタンスを守ると、10名でも狭いようなゲート前である。

 一部は道路向かいでプラカードを掲げ、道行く車に「新基地建設反対」をアピール!

 かっきり9時には工事車両の行列ができた。

 接触を避けるため、「機動隊の移動要請には抵抗しない」方針を守ると、ものの10分もたたずしてゲートを明け渡すこととなる。

 一回目の9:00の搬入では、生コン車を含む工事車両76台が入っていくのを、悔しい思いで見つめた。

 正午の2日目の搬入までの間は休息を兼てテントの下で待機。いつもなら参加者それぞれの話を聞いたり、歌や踊りもあって、時間が足りないくらいだが、今日はそれもなく、時間を持て余した。

 冷やソーメンの差し入れがあり、早速おやつタイムとなった。

 美味しい冷やソーメンで元気をつけて、二度目の座り込み。

 今日はやけに琉球セメントの生コン車が目についた。

 3:00の三度目にはかなり人数も減って!

 今日入った工事車両は総計189台。約半数が生コン車だった。

 

 今日も暑い一日だったが、辺野古の集落の民家に咲く崑崙花(八重咲)に癒されて…。

 

 

 

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