日本という国にとって「沖縄」は 一体何なのか!~ 46年目の5・15

46年前の今日5月15日、沖縄にとっては、最低限の希望を託しての「核抜き本土並み」を掲げ、恋焦がれた平和憲法下への本土復帰だった。

しかし、いざ実現してみれば、米軍施政権下と何も変わらぬ現実。27年間に生じた格差と歪みばかりが目立った。

46年経って、米軍基地の重圧は、今現在ますます重くなるばかりだ。日本という国にとって「沖縄」は、一体何なのか、改めて問いたい。

 

今年も5・15平和行進が11日~13日まで取り組まれ、最終日の13日に宜野湾市の海浜公園屋外劇場で県民集会が行われた。別日程があって参加できなかったため、14日付け琉球新報紙面から>

2018年5月15日リンクURL

辺野古座り込み84%が県内から ~500人集中行動アンケートから

4月23日から行われた「連続6日間500人集中行動」は、連日800名近くの人たちが参加して、一定の成果を示した。

<4月23日 700人余の座り込みで 工事車両を5時間半ストップさせた>

 

実行委員会が行ったアンケート調査の結果が、このほど発表され、参加者の85%が県内からだったことが分かった。国外は0.2%だった。

ネットで流布される典型的な沖縄ヘイトの「辺野古の座り込みはほとんど県外、外国の人で、沖縄地元の人は少ない」という悪意の言説を見事に跳ね返した。

            <5月5日 琉球新報>

一方、最終日以外は平日だったこともあり、現役世代の若い参加者が少ないことが、改めて課題として浮き彫りになった。


    <実行委員会配布のチラシより>

2018年5月12日リンクURL

46年目の5・15平和行進団出発~基地も核も戦争もない平和な世界を目指して!

今年も5・15平和行進が、今日(11日)から3日間の日程で始まった。

沖縄の人々が本土復帰を願って始めた平和行進。辺戸岬をスタートし、県内各地を回って南部戦跡まで歩き続けた。1972年5月15日の復帰後も、基地のない平和な島を目指して平和行進が続けられている。今年は復帰46年目を迎える。

5・15平和行進、南部・戦跡コースの出発式が、今日午前9時から、県民広場(県庁前)で行われた。激励のあいさつをする城間幹子那覇市長。↑

復帰後の5.15平和行進には、全国の平和フォーラムや平和運動センターを中心に、全国の平和を願う人々が大勢やってくる。

出発式のセレモニーを終えて、予定通り9:30に南部コースの平和行進が、県庁前を出発した。

梅雨の最中の5・15は、例年大雨か炎天下かどちらか。いずれにしても過酷な行進となる。今年の一日目は、抜けるような青空の下での出発となった。

北部・基地コースは、辺野古ゲート前で出発式を行い、9:30におよそ500人(主催者発表)が、キャンプ・ハンセンを目指して行進を始めたという。

最終日の13日(日)には、13時30分から宜野湾海浜公園屋外劇場で「平和と暮らしを守る県民集会」が開催される。

 

第46回 5・15平和行進の日程は以下の通り。

2018年5月11日リンクURL