辺野古抵抗の歌⑧ ~やんばるの歌(心騒ぐ青春の歌)

辺野古ゲート前の座り込みの中で たくさんの抵抗の歌が生まれ、いまも日々生まれ続けている。作者はもちろんプロのミュージシャンもいるが、多くは座り込みに参加しているごく普通の人たちだ。

ゲート前で歌われる歌は単に勇ましく闘いを鼓舞するような歌だけではない。ユーモアあふれる風刺の利いた歌や、ロマンあふれれる歌がむしろ好まれる。
この歌もその一つ。ミスターゲート前の山城博治さんが大好きな歌の一つでもある。「やんばるの歌」

60年安保、70安保闘争の頃によく歌われたという「心さわぐ青春の歌」の辺野古版(替え歌)である。

DVC00031.JPG                    <歌うのはこの人・T Kさん>

 

一、我らの想いは それはただ一つ
    麗しのうちなぁ 非武の島よ
   海や森 空も澄めば
   わが心は やんばるの地に

二、 いかなる弾圧が 度重なるとも
   われらの友情は 永遠に変わらず
   海や森 空も澄めば
   わが心は やんばるの地に

三、 誰でも一度は 恋をするものさ
    嵐の中でも 恋は貫く
    海や森 空も澄めば
    わが心は やんばるの地に

胸がキュンとなるようなメロディ、ロマンあふれる歌詞に、切り裂かれる高江の森や生き物たち、埋め立てられようとしている大浦湾のサンゴやジュゴンへの想いが重なり、歌いながら大の男が涙顔になることも少なくない。

キャサリン

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「やんばる」は世界自然遺産の候補にもなっている生物多様性豊かな森や海。私たちは命の宝庫故郷・やんばるをこよなく愛する。

現世代はこの豊かな自然を、子や孫の未来世代に手渡す責務がある。ゆえに海を埋め立て森を破壊する新基地建設を止めるため、懸命に闘っている。

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山城博治さんもこの歌「山原の歌」が大好き、愛してやまない。いろいろな集会で情熱的に歌う山城さん。歌うことで自らを鼓舞し、人々を励ます。

 

2016年5月7日リンクURL

辺野古抵抗の歌 ⑦ ~「沖縄よどこへ行く」「とにかくここで」

ゲート前の座り込み、歌や踊りも「非暴力抵抗運動」の力強いツールである。

ijyuさん(右)

ijyuさん(右)

「あがた森魚」ばりのサビの効いた哀愁漂う歌声で、聞く人のハートを鷲づかみにするijuさん。
彼が歌っている歌は、沖縄を歌うフォークシンガーとして知る人ぞ知る安里正美さんの作詞・作曲だそうです。
1970年代に作られた歌ですが、今聞いても少しも古さを感じさせません。
ということは、基地をめぐる沖縄の状況は、70年代からちっとも変っていない、むしろひどくなっている」ということでもあります。いま辺野古で歌うのにぴったりのうたです。

曲をお聞かせできないのが残念ですが、歌詞だけでも十分に伝わります。

 

<沖縄よ どこへ行く >
作詞・作曲:安里正美

島を耕すように 艦砲射撃の雨が降る
ほんとうの敵は誰なのか
尊い命は 帰らない
ドンパチやってまけた国 祖国と呼んだ あの国は
なぜだかこの島放り出し アメリカより遠い国
流れ流されて どこまでも 沖縄よ どこへ行く
戦が教えてくれたのは 愚かさだけなのに

生まれたときは アメリカ世 ためらいもなくドル時代
勝った 負けたの関係で がんじがらめの お触れ書き
戦が終わりまた戦 島を飛び立つ米軍機
我々の島が あの国の人々を苦しめる
流れ流されて どこまでも 沖縄よ どこへ行く
金網の向こうに 平和など ありはしないのに

アメリカ世から大和の世
期待と不安の世替わりは
戦をしない日本の 兵隊たちがやってきた
物があふれる暮らしより 金網のないこの島を
それがアジアの人々へ 償いの証
流れ流されて どこまでも 沖縄よ
戦が教えてくれたのは 愚かさだけなのに
金網の向こうに 平和など ありはしないのに

安里正美ライブCDジャケットより

安里正美ライブCDジャケットより

 

<とにかくここで>                                                             作詞・作曲:安里正美

ここで生まれたから ここで生きて来た
ただそれだけの ことだけど
沈む夕日に染まり 街も人並みも
何でもない日々の暮らしが 今日も過ぎていくけれど
どれだけの時が流れても 着飾った街になっても
ままならぬ日々のくらし 夕暮れの空の下

戦が終わった後に 生まれた僕だけれど
戦の道具のようなこの島で生きている
癒しの島だといいながら 多くの人が訪れるけど
足早に通り過ぎていく 冬の風のように

日本人でしょうか 僕も
日本だと思いますか ここは
何にも知らずに生きて来た 僕がいる

アカバナー咲く島に
いつになれば 春の風は吹くのだろう
平和を望めば 自由を求めれば
叫ぶ声は空しく響くだけ 帰れ沖縄よ 自らへ

日本人でしょうか 僕も
日本だと思いますか ここは
何にも知らずに生きて来た 僕がいる

ここで生まれたから ここで生きて来た
ただそれだけの ことなのさ

2015年10月18日リンクURL

辺野古 抵抗の歌 ⑤ ~ 平和の琉歌(歌:サザンオールスターズ&ネーネーズ)

毎週金曜日、読谷村島ぐるみ会議のバスでやってくる皆さんは、必ずバスの中で歌の練習をしながらやってきて、座り込みテントの前で披露してくれます。リーダーの女性が、聞く人の胸を震わせるプロ並みの歌唱力、聞きごたえ満点です。

読谷シスターズのみなさん

読谷シスターズのみなさん

その彼女たちの定番曲の一つがこの「平和の琉歌」。実はこの歌、何を隠そう(全然隠れていませんが )あのサザンの桑田佳祐さんの作品です。

1998年のリリースなので、辺野古のために作られた歌ではもちろんありませんが、ゲート前で歌うのにぴったりなのです。

桑田佳祐さんが歌うサザンバージョンもありますが、沖縄の人たちにとっては、ネーネーズバージョンの方がしっくりします。それにネーネーズ版には、最後の方に、知名貞男さんの作詞で沖縄口の歌詞が加えられています。

平和の琉歌

作詞作曲・桑田佳祐 沖縄歌詞・知名定男作
歌・ネーネーズ

この国が平和だと
だれが決めたの
人の涙も渇かぬうちに

アメリカの傘の下
夢も見ました
民を見捨てた戦争の果てに

蒼いお月様が 泣いております
忘れられないこともあります

愛を植えましょう この島へ
傷の癒えない人々へ
語り継がれていくために

この国が平和だと
誰が決めたの
汚れ我が身の罪ほろぼしに

人として生きるのを
何故にこばむの
隣り合わせの軍人さんよ

蒼いお月様が 泣いております
未だ終わらぬ過去があります

愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ人々へ
いつか花咲くその日まで

御月前たり 泣ちや呉みそな
やがて笑ゆる節んあいびさ
情け知らさな この島の
歌やこの島の 暮らしさみ
いつか咲かする愛の花

<うちなぁぐちの歌詞の意味(意訳)>
「お月様よ どうぞ泣いてはくださいますな。 やがて笑える時期もありますよ。
この島の情けをしらせたい 。 歌はこの島の暮し、 いつか咲かせる愛の花」

ネーネーズ:ネーネーはお姉さんのこと。複数形のズがついて「おねーさんたち」の意。ネーネーズは4人グループで、現在代替わりして三世か四世になっていますが、「平和の琉歌」の原版は初代ネーネーズが歌っています。桑田佳祐版、ネーネーズ版共にユーチューブで聞くことが出来ます。

2015年8月1日リンクURL