神の慮り

DVC00012.JPG大きな事を成し遂げる為に
を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった

健康を求めたのに
より良き事が出来るようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

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世の人の称賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

 

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは
すべて叶えられた

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されていたのだ

<ニューヨーク州立大学病院の壁に残されていた
ある患者さんの詩>

 

ハンダマ(スイゼンジナ)の花

ハンダマ(スイゼンジナ)の花

長期入院中の友人が、見舞いに行った私に見せてくれた一篇の詩。
ある本の中で語られたエピソードだそうだ。

クリスチャンである彼女は、
この詩に、魂に響く何かを感じたようだった。

そのとき、彼女が私に共感を求めたのは、生きる勇気を得たことだったのか、消えゆく命を納得した安らぎだったのか、いまだに測りかねている。

 

2015年4月15日リンクURL

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」

このところ、買ってまだ2年ほどの腕時計が
よく狂うので困っている。
狂いが大きいときは一日に2~3時間(どうもときどき眠っているらしい)、小さいときは5分程度。毎朝テレビのタイマーにあわせてから出かけているが、これではほぼ時計としての用をなさないと言ってもいい。

そんな折、行きつけの美容室で、面白いタイトルの本に遭遇。
そのなかに、いまの私にぴったりの項目を見つけて、思わずニヤッとしてしまった。

「村上さん」とは、あの世界的なベストセラー作家村上春樹氏のことだ。
彼のホームページに「どんな質問にも答えます」というので
メールで質問をすると、必ず答えが返ってくる「なんでも相談室」というコーナーがあるらしい。(いまもあるかどうかはわからない。かなり古そうな本だった)

その質疑応答の一部が本になったのが「そうだ、村上さんに聞いてみよう」(朝日新聞社刊)である。

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実に硬軟さまざまな質問がある。
「カラオケには行きますか?」というものから、「ベランダに裸の女性が出てきたら、どうする?」とか「なぜナプキンというのか?」などなど。

それらの質問に、村上さんは、ときには真面目に、ときには冗談でごまかして、ときには「知っていても言いません」と、粋に楽しく答えている。

どの答えも傑作だけど、私をニャッとさせたのは20歳の大学生のこんな質問。

「家には、部屋ごとにいくつもの時計があるが
どういうわけか、家中のどの時計もいつも狂っている。何度合わせても狂うので、今ではもう放ってある。なぜ我が家の時計はこんなにも狂うのか?村上さんもこんな経験ありますか?」

村上さんの答えが楽しい。
『こんにちは。何でも相談室の村上です。
僕は、あなたのご一家は時計につけ込まれているのだと思います。機械というものはけっこう人の顔を見て態度を決めるものです。一度、すべての時計を一か所に集めて、こんこんと説教してやるといいと思います。「このままじゃ、ただではすまさないぞ!」と、きっぱりとした口調で(笑ったりしたらいけません)言い聞かせると、割と簡単に改心します。やってみてください。やるのは月初めか、月末がいいようです』

この質問者が、村上さんの回答の通り実践したかどうかは知りません。
が、私はやりましたよ。
時計を握った手を胸にあて、こんこんと諭した。「あなたの本来の役割は正確に時を刻むことだ。なのに今の状況はどうしたことだ。このままではあなたを捨てなければならない。どうかちゃんと自分の仕事をしてくれ!」と。

私の腕時計~正確です

私の腕時計~正確です

その結果ですか?
想像にお任せします。

2015年3月20日リンクURL