お盆中日~島の恵み

お盆の中日は割とのんびりと過ごしました。曇りがちで少し風がありましたが、海はキラキラを光っています。

幼いころからなじんだこの風景の中にいると、身体も心も緩んで穏やかな気持ちになります。ぬる~いお湯につかってダラ~ンとしている感じ、と言ったらいいでしょうか!

島に住む親戚が、アタイ小(家庭菜園)で作ったパパイヤやヘチマを届けてくれました。

ナーベーラー(ヘチマ)です。2個はすでに炒め物にして食べてしまいました。ぷっくり太って栄養満点といった感じです。愛情もたっぷり注いで育てたのでしょうね。

 

パパイヤも見事です。我が家の台所の窓から見えるパパイヤの木においしそうに実っていました。欲しい!と言ったらヘチマと一緒に届けてくれました。

一緒に写っているシーチキンの缶詰は、特に意味はありません。茶目っ気旺盛な我が妹が、私がカメラを向けているのを見て、冗談にちょこんと置いただけなんです。強いてこじつければ、沖縄はシーチキンの消費量全国一なんだそうです。パパイヤチャンプルーにもシーチキン使うもんね!

これも従弟が釣ってきたグルクン(タカサゴ)です。沖縄の県魚でもあります。すぐに調理できるようにと、ちやんと下ごしらえをして届けてくれました。

都会にいると、これらはすべてお金を出さなくては手に入りませんが、島には、山があり、海があり、畑があり、そしてお互いに思い合う人々がいて、つまり、自然が当たり前にそこにあるだけで、このように豊かな実りを私たちに与えてくれます。これこそ本当の豊かさではないだろうかと、ご先祖さまに感謝する旧盆中日の一日でした。

2017年9月7日リンクURL

旧盆は故郷・渡嘉敷島ですごしました~エイサーでお迎え

沖縄のお盆は旧暦で行われます。今年は9月3日が盆の入りで、6日が送り火でした。
何があってもご先祖様のお墓がある故郷へ帰って過ごすのが最優先されます。

我が家の仏壇のお供え。果物セットの他に、パイナップルとスイカはぜひものです。お菓子や飲み物の数々、そして泡盛。左右の端に立てかけてあるサトウキビは「グサンウージ」と呼ばれ、ご先祖様がお帰りになるとき、お土産をつるして担いだり、杖にするのだと祖母から教わりました。

ウンケー(お迎)えの日の夕ご飯はウンケーージユーシー(お迎えの雑炊)。いろいろ具の入った炊き込みご飯です。おかずとしてお魚やエビ、ラッキョウなどの天ぷらを添えました。

村の青年会が主催するエイサーの道じゆねー(行進)が、三線や太鼓、笛などの演奏隊を乗せた車を先頭に村中の道々を練り歩きます。

 このエイサーがご先祖様をおお迎えする儀式となります。沖縄らしくにぎやかですね。

今年はエイサーの追っかけに外国人の観光客が目立ちました。島に渡る船(フェリー)も、里帰りの島の人より観光客でいっぱいでした。

少雨傾向のなか、観光客の増加で水不足が懸念されているようです。防砂無線から「節水」を呼び掛けるアナウンスが流れていました。

2017年9月7日リンクURL

 平和学習ツアーのガイドで渡嘉敷へ

15日は、毎年恒例となった高知平和運動センターの平和学習ツアーの案内で久しぶりに渡嘉敷へ行ってきました。
沖縄本島は、一日中土砂降りの雨が降ったりやんだ入りの天気だったようですが、不思議に渡嘉敷島は、曇りながらも時々お日様も照り、ツアーの皆さんに、美しい渡嘉敷の海の色を見てもらうことができました。

今日は、渡嘉敷の自然を楽しんでください。

                       <ニシ山から慶良間海峡と座間味島を臨む>

                         <連休明けで、観光客は少なめ>

             <我がふるさとながら、この海の色の美しさには思わず息をのむ>

           <鈴なりのアダン(タコノキ)の実が熟していた>

 

 

 

 

 

熟したアダンの実は、アーマン(ヤドカリ)の大好物です。

今は誰も見向きもしませんが、甘いものが少なかった私が子どもの頃は、おやつとしてよく食べたものです。

<村花:ケラマツツジ>      <野生のテッポウユリ>         <ブーゲンビリア>

              <よく見なければ気づかない小さな草花。名前は解りません>

     <ソウシジュの花も満開でした。黄色い花がコロコロと散り落ちる様は風情があります>

              <ニシ山の東展望台:曇っていたため沖縄本島もかすんで…>

「集団自決」という沖縄戦の想像を絶する悲惨な出来事と、島々の美しい大自然とのコントラストが、ますます戦争のむごさを浮かびあがらせるケラマ諸島です。

平和学習ツアーでは、戦争の話だけではなく、島の歴史や文化についても伝えます。

かつて慶良間諸島は、全国的にも名を馳せた鰹節の名産地でした。カツオ漁と鰹節作りの技術は、高知県から学んだと言われています。明治の中頃のことです。そういう意味では毎年平和学習に来てくださる高知県とは、ご縁が深いのです。

写真は、島に3つあった鰹節工場の名残の煙突です。

2017年5月16日リンクURL