韓国からの中学生平和学習ツアーのガイドで渡嘉敷島に

 昨日(16日)は韓国からの中学生を案内して、渡嘉敷島に渡った。

 一行24人(中学生20人、引率教師1、旅行社2、ガイド1)は、当初国立青少年交流の家に一泊して、ゆっくり渡嘉敷島の自然と歴史、文化、そして沖縄戦について学ぶ予定だった。しか、天候が思わしくなく、翌日は船の運航が難しいかもしれないとの懸念から、急遽日帰りに切り替えられた。
 果たして当日は、大雨の中での厳しい行程となった。

 渡嘉敷島の戦争遺跡の多くは、奇しくも国立青少年交流の家のある北山(にしやま)に集中し、広い敷地内に点在する。中学生らは、その広い敷地内を徒歩で回ることになっていた。

 しかし、あまりの悪天候に5メートル先の視界もきかず、本来なら輝くけらまブルーの慶良間海峡に浮かぶ美しい島々の光景に、歓声を上げるはずの西展望台からは何も望むことはできなかった。

 <本来なら、西展望台から望めたはずの島々>

 ずぶぬれになりながら、やっとの思いで集団自決場の碑までたどり着いたが、説明もそこそこに切り上げて、青少年交流の家施設内の一室で、集団自決の生き残りである吉川嘉勝さんから、体験談を聞かせていただいた。(写真を撮り損ねました)

 吉川さんは当時6歳。母が子を、夫が妻を、兄が姉妹をと、愛する家族を手にかけた阿修羅の自決現場の様子、母親の転機で、自決場から逃れられた吉川さんの実体験は、中学生には大きな衝撃であったろう。

 結局、白玉の塔や日本軍本部壕、自決現場、慰安所跡などへは、大雨が収まらないため、足元不安もあって行くことを断念した。

 昼食後は、阿波連ビーチに移動し、待ちに待った海洋研修で大型カヌーに挑戦した。

 

 はじめて見るサンゴの白い砂浜・青い海に歓声を上げ、水上バイクに助けながらも自分たちで海洋に漕ぎ出し、およそ25分を漕ぎ切った。締めくくりは海に飛び込んで、大雨も寒さも10代の若さで吹き飛ばし、全身で海を楽しんだ。

  最後は彼らがこの島を訪れた目的の一つである「アリランのモニュメント」を訪ねた。モニュメントの建立には、敷地提供や陶板の制作など、島の人々も少なからず関わったことも伝えた。

 沖縄戦で大きな被害を受けながら、朝鮮半島に対しては日本人として加害性も併せ持つ沖縄の「戦争」を伝えたつもりだが、悪天候によるハプニングに加えて、通訳を介する言葉や時間的な制約などもあって、必ずしも十分な説明ができたとは言えない。感性の柔らかな彼らはどう受け止めただろうか。

 

2022年12月17日リンクURL