今年も千葉から手作り梅干しが届きました! ~ 今日(7月19日)の辺野古

 不屈の座り込み3300日目の辺野古。炎天下にも拘わらず、今日も大勢の人が座り込みに参加した。

 心なしか3300の文字がいつもより大きく見える。誰がこれほど長い闘いになると想像できただろうか?

 いつも写真を撮るために動きやすいようにと端っこに座り込むのだが、朝一番はバリロードがあるため、機動隊は両端から攻めてくる。そうすると真っ先に機動隊に排除されるので、今日は真ん中に座ってみた。 なるほど、結構最後まで居座ることが出来、見える景色も、写真の絵も違ってみえた。

   今日は、韓国から平和クルーズの若者たち8人が参加、元気を届けてくれた。東アジアの島々を平和の絆で結ぼうと、なんとヨットで韓国・済州島を出発、3カ月をかけて、九州、奄美、沖縄(辺野古)、宮古、石垣、与那国をセーリングで結び、島々の平和のために闘っている人々と交流するのだという。福岡、長崎、奄美、種子島を経由して、昨日辺野古入りしたとのこと。さらに先島~台湾へと向かう予定。

 

 私たちとともに9:00の座り込みを終え、テントに引き上げた後、韓国のメンバーとの交流は、さらに続いた。 

「私たちは平和の友だちです。共存の平和の輪を築きましょう」

高齢の皆さんが、とても熱心に闘う姿を見て、私たち若者はもっと頑張らないといけないと思いました。基地のない沖縄が達成できるまで、共に頑張りましょう!」

「辺野古にはじめて来たのは2014年、米軍基地と闘う沖縄の人たちの姿に、とても感動した。今回も、私自身、皆さんのように高齢になるまで闘い続けられるだろうかと、改めて感動している。平和のために闘い続ける皆さんに、感謝と尊敬をささげる」

「辺野古が日本の平和運動の模範になっていると思う。近くに学校がありますが、本当の学校はこの場所である。子どもたちもここにきて、平和のことを学ぶといい」

 11:00の第四ゲート、正午の工事用ゲート、15:00工事用ゲート3日目の座り込みと、今日一日、辺野古ゲート前に韓国の若者たちのパワフルなエネルギーがあふれた。 

 今日はもう一つ大切な話題が…。恒例になった千葉県からの手作り梅干しが、今年も届きました。「辺野古で頑張っている皆さんに梅干しを届けたい」と、年に2回、遠く千葉県の女性たちから、手作りの梅干しが届く。

 <千葉の皆さん!ありがとう!>

 梅干しを手にこの笑顔!多くの皆さんに喜ばれています!

 特に今回は、貴重な30年ものの梅干しが大量に。ご存知の通り梅干しは熟成させるほどに梅干し本来の効能が高くなるが、昨今の商業ベースでつくられる梅干しは、科学的な処理で3カ月から半年で店頭に並ぶ。その上、減塩、はちみつ漬け、鰹節味付けなど、単なる嗜好品になっている場合が多い。昔ながらの作り方で、しかも30年ものなら、もう天然の「お薬」と言っていいかもしれない、と私などは思う。

 

 

2023年7月19日リンクURL

「遺骨が眠る南部の土砂で辺野古埋めるな」 ~ うるま島ぐるみ会議がフィールドワーク

 7月15日(土)に予定されていた「遺骨が眠る南部の土砂で辺野古を埋めるな!県民集会」(主催・オール沖縄会議)が新型コロナの急増で9月以降に延期となったが、せっかくの機会ということで、「うるま市島ぐるみ会議」主催のフィールドワークが行われた。
 開発が問題となっている熊野鉱山やシガーアブ(注)周辺を、北上田毅さん、具志堅隆松さんたちの案内で周るというので参加した。

 午後3時、熊野鉱山前の農道に60人余が集まった。まず、具志堅隆松さんが戦没者の遺骨が混じる南部の土砂問題について全般的な話をした。「遺骨が混じる南部土砂問題は、沖縄だけの問題ではない。日本だけでもない韓国の兵士も3500人くらい戦死しているがほとんど遺骨は帰っていない。もちろん米兵も。このことを全国、世界に知らせて行きたい。特にアメリカは遺体を大事にする。戦場でも戦死者をどんな困難な中でも連れ帰る。過酷な戦場だった沖縄戦ではそれでも取り残された戦死者もいたのだ。それを知れば外交問題に発展する可能性もある」と。さらに「国は、遺骨が眠っていることを知りながらこの計画を立てた、と言っている。人の道にも外れた所業である」と憤った。  続いて北上田毅さんが、熊野鉱山の開発問題の経過と問題点を説明。北上田さんの話を聞いていると、鉱山開発にについては、地域や県の権限も多く、県もがんばってはいるが、それは市民らに突き上げられて、と言う感じを受けた。 

 熊野鉱山の現状を聞いた後で、魂魄の塔の近くにあるシーガーアブと呼ばれる自然壕(洞窟)に移動して説明を受けた。

 シーガ―アブは、ここに隠れていた日本兵将校らが自決したことで知られ、慰霊碑も建っているが、ここには周辺集落の住民7家族も避難しており、米軍の放火作戦で多くの犠牲者を出している。県民にとって重要な戦争遺跡である。それが鉱山開発で崩壊の危機に陥っている。

 参加した市民らも発言し「沖縄戦では人々の命だけでなく、文化も自然も破壊された」「日本は主権国家ではない。アメリカのいいなり、属国だ」

 魂魄の塔近くのお寺の庭に、ピンクのハイビスカスが咲き乱れていた。

 

 

 

 

 

2023年7月16日リンクURL

ゲート前座り込み10年目の辺野古(7月12日)から

 久々にすっきりと晴れ上がった沖縄の空。辺野古へ向かう途中、伊芸サービスエリアから中城湾を望むと、平安座島のCTSタンク(石油備蓄)がくっきりと目に飛び込んできた。

 かつてここで、石油備蓄基地に対する反公害の住民運動があったことを思い起こす。市民が主体の歴史に残る住民運動で、辺野古の闘いにも継承されている。

 9時前、第一回目の座り込み。2014年7月から始まったシュワブゲート前の座り込みは、この7月で10年目に突入した。

 灼熱の暑さのせいか、参加者がいつもより少なく21名。見渡すと、いつもの水曜日のコアなメンバーばかりだった。高齢者が多いから、熱中症を警戒したのだろうか?

 あまりの暑さに、思わず空を見上げた。座り込みの参加者だけでなく、工事車両の資材搬入の工事車両も、いつもに比べかなり少なかった。仕事なので、「暑さのせい」ばかりではなさそうだが…。

11時前、第4ゲートで座り込み。悔しいけど、こちらより機動隊の数の方が多い。 

 

 大浦湾では、土砂を山盛りに積んだ台船が三隻、沖待ちをしていた。


12:00前、工事用ゲートでこの日2度目の座り込み。那覇から二台目のバスが到着して、座り込み参加者が30数名に増えた。

 水曜日名物ランチバイキング。食後にアイスの差し入れもあった。

 

15;00前、工事用ゲートでこの日三度目の座り込み。椅子から立ち上がり写真を写した後イス(ビニール製の折り畳み式)に戻ると、わずか30秒ほどなのに「熱ッ!」と、思わず飛び上がるほどイスが熱くなっていた。太陽の力は偉大だ。アスファルト道路からの輻射熱も半端ではない。日傘をさしているが、背中は滝のような汗が流れていた。

 第四ゲートへの真正面に八重咲のキョウチクトウ。暑さも何のその、微笑んでいるように見えた。

 

2023年7月14日リンクURL