私は被災者ではないけれど
あの日のことは一生忘れないだろう。
仕事で出かけた池袋のオフィスビルの中で最初の揺れに遭遇した。
ちょうど仕事が終わって、相手の方と雑談をしていたときだった。
あんな大きな揺れは初めての経験で、はじめは何が起こったのか、すぐには理解できなかった。
余震が続く中、窓越しに道路向かいの細長いビルが、しなりながら揺れるのを見て
地震の大きさがわかった。
2時間ほどテレビ画面にくぎ付けになっていたが
それはまるで映画でも見ているようで、とても現実に起こっていることとは
どうしても思えなかったのを覚えている。
「揺れが大きかったので、東京でも電車が止まるかもしれません。
早めにホテルへ戻ったほうがいいですよ」と
事務所の人に促されて、池袋駅に向かった。
しかし、すでに電車は止まり、駅前にはタクシーを待つ人の列が
200名ほども連なっていた。
道路は極端に渋滞し、2時間待ってもタクシーは一台も来なかった。
知る人とてなく、携帯もつながらず、地理も不案内の中
この夜宿泊するはずだった新橋までの行程も検討がつかない私は
寒さの中で、ただ立ち尽くすしかなかった。
見ていると、行列の中に、妊娠中の女性や、赤ちゃんを連れたお母さん
身体の不自由なお年寄りも少なくない。
せめて風よけに駅の建物(地下道)の中に入れてくれたらと思ったが
JRの駅は非情にも、そういう人たちの眼前でもシャッターを下ろし
警備員が、詰め寄る人々を押し返していた。
そういう規則でもあるのであろう。
タクシーをあきらめ列から離れたときは、あたりを夕闇が包んでした。
とにかく、「今夜一晩を過ごせる宿」をと、駅周辺のホテルをいくつかあたってみたが
すでにどこも満室になっていた。
朝から何も食べていないにも関わらずあまり空腹は感じなかったが
寒さにはこれ以上耐えられそうにもなかった。
周辺のファーストフードの店や居酒屋などは、やはりどこも人でいっぱい。入る余地はない。
そのとき、ふと、池袋駅のすぐそばに琉球料理の店があり、一度会食したことがあったのを思い出した。
行ってみた。路地の奥で目立たない場所にあるせいか、幸いなことにすいていた。
やっと温かい食事にありつけた。
常連客らしい人たちが「電車が動くのを待っている」と話していた。
2時間ほどして、この店も11時には閉めなければならないという。
また、寒空の下に出た。駅前のタクシー待ちの行列はまだ続いていた。
駅から歩いて4~5分のところにかなり大きなシティホテルがあるのを知っていたので
例え一泊何万円といわれても泊まるしかない。と意を決し、ダメもと行ってみた。
ホテルの中は温かかったが、ホテル内にあるいくつかあるレストラン、喫茶店の椅子はもちろん
ロビーや階段まで、足の踏み場もないほど大勢の人が、直に床に座り込んだり横になったりして眠っていた。
ホテルの従業員らしき人が、毛布やシーツ、はてはテーブルクロス、
カーテンの余り布らしきものまで引っ張りだしてきた、という感じで人々に対応していた。
私はロビーの片隅に隙間を見つけて座り込んだ。
隣の人(年配の女性)が、自分がくるまっていたていたテーブルクロスらしき固い布を
半分めくって私を入れてくれた。
「ありがとうございます」と言ったが、声にならず、ただ涙がこぼれた。
その人は笑顔でうなずいて、目をつぶった。(つづく)