沖縄・辺野古のジュゴンを守ってください~ネット署名にご参加を!

dugong_petition_header

ピースボートが、辺野古の新基地建設を止める為にネット署名活動をしています。あなたもぜひご参加ください。

http://www.greenpeace.org/japan/henoko/

辺野古の海・大浦湾は生物多様性豊かな海です。辺野古の海の生物はもちろんジュゴンだけではありません。辺野古の海で命をはぐくむすべての生き物を代表してジュゴンを揚げています。

🙂 💡 🙂

なお、現在、辺野古・大浦湾の海では、ブロック(20トン~45トン)の投入によりサンゴ礁が潰され、ボーリング調査のための台船が組み立てられ、「仮設桟橋」設置の準備が行われています。    ゲート前での「テント撤去」の攻撃と同じように海での阻止船とカヌー班(辺野古ブルーと命名)への海上保安庁の非人間的攻撃が激化がしています。
このような安倍政権の、沖縄の民意を踏みつぶし辺野古新基地建設を進めていることに抗議して、2/22ゲート前県民集会に続き、3月21日には大浦湾が一望できる瀬嵩の浜で県民集会が開催されることになりました。

具体的には下記の内容です。

   ・とき:2015年3月21日(土・春分の日)13:00~14:30
   ・ところ:瀬嵩の浜
   ・規模:3000人以上
   ・海での辺野古ドリーム(船)、辺野古ブルー(カヌー班)とのジョイント企画
   ・実行委員会として貸し切りバスを出す(那覇市発10台、沖縄市発3台、      名護市発2台の予定

2015年3月10日リンクURL

三線の日(3月4日)の辺野古

DVC00276.JPG

 

三線の日とは、
三月四日のサン・シーにひっかけて
沖縄古典芸能の演奏楽器・三線(サンシン)の日と定め
沖縄はもとより全国、世界各地で「三線を奏でよう!」という日である。

地元ラジオ局の呼びかけで始まったこのイベント、今年で23年目を迎える。
今日一日、さまざまな三線イベントを行いながら
正午の時報を合図に、三線発祥の地と言われる読谷村をはじめ
首里城など、沖縄の各所、各グループ(三線教室など)、各家庭、三線愛好家のいるところならどこでも、一斉に「かじぁで風節」という曲を奏でる、という趣向である。

そこで、辺野古ゲート前でも演奏を!と呼びかけが行われた。

DVC00280.JPG

 

わずか一週間の取り組みでこれだけの演奏者(18名)が集まった。

DVC00277.JPG

基地のフェンスをも超え、青い空と海、みどりの山々に、厳かな古典音楽の調べが漂う。

「今日の誇らしゃや  なをにぎやなたてる
蕾で居る花ぬ  露ちゃたぐと」

(今日のこの誇らしい喜びを 何に例えようか
蕾が 朝露をうけて ぱっと花開いたかのようだ)

演奏に合わせて、道路を挟んで向かい側では、歩道を舞台に古典舞踊「かじぁで風」が11人の女性たちによって舞われた。

毎日ゲート前に座り込む地元の島袋文子さん(85歳)は、メディアのインタビューに応えて、「沖縄の人は武器はないけど、心で闘うのです」と語った。

権力にあらがう民衆のしなやかな闘いの姿が清々しい。

DVC00275.JPG

宴の締めくくりは、全員参加でカチャーシーを踊るのが定番である。

 

この場を共にした誰もが、「新基地建設が撤回され、喜びに歓喜しながら、大勢の仲間と共にこの歌を唄い踊る姿」を思い描いたにちがいない。

DVC00270.JPG<2015年3月4日、不屈の座り込み241日目の辺野古ゲート前より>

 

 

2015年3月4日リンクURL

今日の辺野古(2/27)~座り込みテント健在!

キャンプ・シュワブゲート前の座り込みテントは健在だった。

DVC00182.JPG

言い渡された撤去期限の昨日・26日は、朝から多くの支援者がゲート前に詰めかけた。そこへ改めて国道事務所の職員がやってきて、警告文を読み上げて行ったという。

夜中の強制撤去を警戒して50人が徹夜で監視していたので無事朝を迎えたが、北部国道事務所側は、数人で10分おきにテントの前を往復する「巡回」を、朝まで繰り返していたという。

その裏には、国道管理事務所の所長が、総理官邸に呼び出され、官房長官から直々に「対応が生ぬるい。もっとしっかりやれ」と厳しいお叱りを受けたということがあるらしいと、ニュースが伝わる。

 

この文章を読み上げたのだろうか!

この文章を読み上げたのだろうか!

北部国道事務所がたてた看板

北部国道事務所がたてた看板

 

今日、「島ぐるみ会議」の辺野古支援バスがゲート前に到着したのは午前11:30、釈放された山城さんが元気に抗議行動の指揮をしていた。

フクシマ、浪江町で未だ仮設住宅くらすという。「フクシマとオキナワは同じ構図。原発に反対しなかった私たち、ずっと抵抗してきた沖縄に学びに来た」とかたる。

福島・浪江町から3人が参加。未だ仮設住宅に暮らすという。「フクシマとオキナワは同じ構図。でも事故が起こるまで原発に反対しなかった私たち、ずっと抵抗してきた沖縄の人たちに学びに来た」と語る。

 

山城さんの説明によると、「宿泊用のテントは撤去するので、せめて全国からの支援物資などを保管するテントだけは置かせてくれと交渉したが聞き入れないので、宿泊テントも撤去することなく、一部をゲート向かいの歩道に移し、すぺーすが広くなった分ますますテントが増えた。強制撤去するならすればいい。我々は何度でもテントを張り直すだけだ」と力強く語り、拍手喝さいを浴びた。

増えたテント

増えたテント

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も市民の抗議を無視するように「内閣府 沖縄総合事務所」の文字が入った制服姿の国道事務所職員が、数人ひと組で10分おきにテントの前をぞろぞろと往復する「巡回」を繰り返した。

DVC00161.JPG

 

 

 

 

 

 

 

DVC00162.JPG

彼らは威圧しているつもりかもしれないが、その姿はむしろ憐れだ。いちばん情けない思いをしているのは彼ら自身ではないだろうか!私も一人の労働者として、職員にこんな働かせ方をする国に対し憤りを感じる。

DVC00172.JPG

 

 

2015年2月27日リンクURL