軍拡ではなく、国民のくらしと命こそ守れ! ~ 2月22日の辺野古

 2月22日は「猫の日」だそうだ。我が家(那覇)にもいま猫が3匹と、渡嘉敷島の実家に7匹ほど野良猫が餌を食べにくる。妹が主に面倒をみているが、私も犬・猫は大好きで、でもどちらかと言えば猫派。穏やかに陽が照る今日のような日は、猫と一緒にのんびり日向ぼっこでもしたいと思いつつも、辺野古へ向かう。 

 21、22日は土砂の搬出港である塩川港で「塩川day」の集中行動が行われているため、辺野古ゲート前は参加者が減るかと思われたが、いつものメンバーはほぼ参加して一日がスタートした。


 辺野古抗議行動のシンボル島袋文子さん。さしもの機動隊も、文子さんの排除には慎重になる。いつも最後まで残される。

 このところ、第4ゲート11時の搬入がどんどん早くなって、座り込み抗議が間に合わなかったりするので、10時過ぎには歩いて第四ゲートに向かった。

 11時にはまだ30分以上もあるというのに、第二ゲートから出てくる機動隊に出くわす。彼らの数歩後をついて行く感じになってしまった。

  まだ到着していない人も何人もいて、座り込みの人数が少なかったので、瞬く間に排除されてしまった。

 第四ゲートからの帰り道、第2ゲート横に、また山を切り崩してできた新しい道路が木々の間から見えた。凄まじい環境破壊に怒りを通り越して涙が出てくる。

 第四ゲートから戻って一息つく間もなく、12時の搬入に向けて2度目の座り込み。

 平和を求める退役軍人の会・ベテランズ・フォー・ピースのダグラス・ラミスさんが久しぶりに参加されて、今週日曜にな行われる「争うより愛しなさい!島々を戦場にするな!沖縄を平和発信の場に!2・26緊急集会」への参加を呼び掛けた。


 私は午後に別の日程があり、正午の座り込みの後辺野古を後にした。

 途中、昼食のために目指した食堂。いつもは入りたくても客がいっぱいであきらめて引き返すことがほとんどだったが、何故か気味悪いほどガラガラ。駐車場に車が3台しか停まっていなかった。「なんだかイヤだね」と、車を運転していた友人、ここはパスすることに。

 次に入った沖縄そばのお店も客はまばら。聞けば料金値上げで客足が激減したという。注文した沖縄そばが150円も高くなって800円になっていた。後期高齢の年金生活者には耐えがたい値段。

 ホントに、この国は、戦争などやっている場合ではないだろう!国民のくらしと命を守れ! 

 

 

2023年2月23日リンクURL

PFSA汚染深刻 ~ PFAS血液検査報告会 ご案内

 普天間飛行場のフェンス沿いにある普天間第二小学校敷地の汚染調査で深刻な汚染が確認された。

 米軍基地の存在によって、事件・事故、環境汚染(破壊)の過重な負担を強いられる沖縄で、さらに有害化学物質・PFASよる「水」の汚染が、大きな問題になっている。

 国や県が動かないので、体内汚染、人体への影響を明かにするため、市民団体が独自に血液調査を行った。その報告会が来る23日に行われる。

 

 

 

2023年2月19日リンクURL

海を 空を 土を 水を つなぎたい!当たり前の暮らしを ~ 2月15日の辺野古

 6時すぎ、家を出るときから雨。うっかり傘を持たずに飛び出し、戻ろうにも時間的余裕がなくて、モノレールの駅までおよそ8分を走った。撥水加工のブレザーを着てはいたものの、ずいぶん濡れて寒く辺野古へ向かうバスの中で震えていた。

 途中の道路工事と雨による渋滞が重なって、いつもより20分も遅れて辺野古到着。

 テント前に着くと、昨年夏のうち続く台風で破損し使えなくなっていた可動式の屋根が、見事に復活していた。あの「ひろゆき」氏にやゆされた日付看板と同じく、金城武政さんの作である。

 この屋根はこれまで何年もの間、舗道に影をつくり、そこでマイクを握る人たちを、雨や夏の強い日差しから守ってきた有難い存在だった。うれしい復活である。

 ここは舗道なので、使わないときは、写真のようにテントの屋根に重ねて、しまっておける仕組みになっている。

 毎日座り込み抗議行動をしながら、こつこつとテント周辺の環境整備を続ける金城さんの活動には頭が下がる。 

 9:00前の一回目の座り込みにも自然と気合が入った。



 この日は、県外からの参加者が目立った。11時の第四ゲートからの搬入がなく、座り込み抗議行動が中止になったので、二回目12時前の座り込みまで充分時間があり、参加者同士の交流の時間が十分にとれた。

 石川県から、ある宗派のお寺の信徒の方々。コロナ禍の前までは毎年グループで参加されていたそうで、今回はコロナが下火となり久しぶりの辺野古。

「沖縄の皆さんはコロナ禍でも中断することなく、抗議行動を続けていることに感動した」

「初めての沖縄。沖縄のことは知識としては知っているつもりだったが、実際に来てみると、いかに自分たちは人ごとのようにしか思っていなかったか実感した。同じ日本人なのに、国の大事を沖縄にだけ背負わせている。自分にできることを探して行動する努力をしていきたい」など、数珠を片手にそれぞれが抗議行動に参加した感想を語った。

 もう一組は、大阪から女性が二人。19年まえから大阪駅で毎週、沖縄のことを訴える駅前行動を行っているグルーの一員。

 「反対!」とか「抗議!」とか言うと、若い人や一般の人たちは引いてしまうので、「沖縄の人々が求めているのは特別なことではなく、当たり前のくらしであることを、普段着のことばや歌で人々のこころに届けたい」と白羽の矢が立ったのが、水曜日の辺野古ゲート前行動でおなじみの「辺野古少女合唱団」、大阪駅前行動に招聘された。

 昔は少女だった辺野古ネーネーズのこの3人が、来る5月20・21日、大阪駅前で心に沁みる「沖縄辺野古抵抗の歌」の数々を、地元大阪の皆さんとともにお届けします。是非応援よろしくお願いします! 

 この日も、キャンプ・シュワブを戦闘車両が何台も激しく出入りしていた。プラカードを掲げるたった一人の女性の抗議に、立ち往生する米軍車両。数分動けないでいたが、軍警に促されそろそろと、超ゆっくり通り過ぎて行った。

 

 15:00前、3回目の座り込み。薄く陽も差し暖かくなっていたが、霧雨のような細い雨がちらついていた。 

 この日は3回とも工事車両の数が極端に少なく、2回目などは中に入ったダンプはわずか8台だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 道端では、さし草(タチアワユキセンダングサ)やリュウキュウコスミレの花が春を告げている。

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月16日リンクURL