ベトナムの旅 ① アレン・ネルソンさんのこと㊤

去る11月、ベトナムへ5泊6日の旅をしました。
遅ればせながらの報告です。

なぜ?何をしにベトナムへ?ということですが
それにはまず、アレン・ネルソンさんについて語らねばなりません。

アレン・ネルソンさんはアメリカの元海兵隊員。
沖縄で新兵としての訓練を受け、ベトナム戦争を戦った人です。

アレン 

戦場の兵士は、敵を殺さなければ自分が殺されます。
アレンさんも、人を殺すあらゆる方法を訓練されてベトナムに赴き.何の迷いも疑いもなく、たくさんのベトナム人を殺しました。
それは軍人として当然のことと、アレンさんは思っていました。

ある日、戦闘の最中に、逃げるベトナム人を追いかけて
暗い防空濠の中に入りました。入った途端「誰かいる!」と感じました。

そこにいたのは若いベトナムの女性が一人。銃を構えて飛び込んで来たアレンさんを見て、女性の顔はまるでモンスターにでもであったように恐怖で引き攣るのがわかりました。でもなぜだか逃げようとはしません。
しかも何やら苦しそうにうめいています。

よく見ると、下半身裸の女性の両脚の間から何かが覗いていました。アレンさんには何が起こっているのかすぐには事態がよく呑み込めませんでしたが、女性がひときわ強くいきんだとたん、思わず差し出したアレンさんの両手に、何やら暖かいものがゆだねられました。
そして次の瞬間「おぎゃ!」と声を上げたのです。
それは、生まれ落ちたたばかりの赤ん坊でした。

その若い女性は、アレンさんの手から赤ん坊を奪うようにして受けとり、自分の歯で臍の緒を噛み切って 、素早く濠の外へ逃げ去って行きました。

我に返ったアレンさん、自分の両手の中で産声を上げた赤ん坊の感触に
「ベトナム人も人間だったのだ!」と、初めて気が付いたそうです。

以来アレンさんは、ベトナムで戦うことができなくなりました。
わが戦友たちを殺した敵、犬・畜生も同じと思い込んでいたトナム人も
自分と同じ人間だった!とわかったからです。

ブックレット 赤ん坊が

退役したアレンさんは、戦場での過酷な体験から心を病み(PTSD)社会人として、日常生活が営めなくなりました。

それでも家族や友人たちに助けられながら、十数年かけて立ち直り、 アメリカ国内だけでなく、日本、特に海兵隊基地のある沖縄に来て戦争の実態、軍隊の本質を語りました。
特に米兵たちには「戦争をやめて、お母さんの許に帰ろう!」と呼びかける平和運動を ずっと続けていました。

また、アメリカ国内では、軍人予備軍である高校生に.「どんなに苦しくても軍人にだけは絶対なるな」と呼び掛ける活動に力を入れていました。

なぜなら、「貧しくて、上の学校へもいけない就職もできない僕たち黒人は 軍隊に入るか、麻薬に手を染めて刑務所に入るしか選択肢はなかった」と
アレンさん自身が語るようなアメリカ社会だったからです。

そんな中、アレンさんは、50代の半ばで癌に侵され倒れてしまいます。
それはベトナム戦争で米軍が使った枯葉剤の影響でした。
米軍がベトナムに振りまいた膨大な枯葉剤は、 後にベトナムの人たちに想像を絶する多くの被害(ベトちゃんドクちゃんに代表される結合奇形児の出生などが今も世代を超えて続いている)を与えましたが

それだけではなく、ベトナムで戦った米軍人たちにも
無残な被害を与えていたのです。(つづく)

2014年1月14日リンクURL