琉球と大和の架け橋にと、芝居と琉歌と音楽で伝える命どぅ宝「信州・沖縄 ぬちぬぐすーじ」公演が行われる。かつてないユニークな構成に、私も飛んでいきたい衝動に駆られる。長野在住の皆さん!お見逃しなく。絶対面白いから!
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辺野古へ行く日は、起きるとまずベランダに出て、外の空気を肌に感じてその日の服装を判断する。
辺野古は那覇より1~2度気温が低いことも計算に入れなければならない。ちょうど今頃の季節の変わり目は、その判断が難しい。天気予報という科学的な情報だけでは間違えることが多い。一番確かなのは、自分の身体・肌感覚であると、長い経験から、わかるようになってきた。
国の戦争政策が、あからさまに叫ばれるようになって、ゲート前での防衛局職員の態度が、強権的、強引になってきた。何やら挑発的な匂いも感じる。なんとも嫌な雰囲気だ。
舗道にバリロードを設置され、座り込み行動の一部が、道路側にはみ出さざるを得ないので、カラーコーンを並べて安全を確保しているのだが、いきなり今日から、そのカラーコーンを「違法だから撤去しろ」と、言い出した。複数の防衛局職員が交互に、ハンドマイクを大音量にしてがなり立てる。「このバリロードこそ違法だ。まず先に撤去しろ!」と、こちらも言い返す。
こうして今日も、辺野古での一日が始まった。
11:00前、第四ゲートで座り込み。
ここも、どんどん時間が早まって、11時20分前には、早々と強制排除されてしまった。
弾薬庫の改修と、美謝川の付け替え工事とが相まって、付近の森林は見るも無残に切り倒され、むき出しになった赤土の山肌がどんどん広がっていく。
大浦湾側では、土砂を陸揚げする桟橋に接岸している台船の姿なく、海での作業はないようだ。
正午前、工事用ゲートでの2度目の座り込み。最高気温27度の予報通り、曇り空ではあったが、これからの夏が思いやられる暑さだった。熱中症に要注意の季節になった。
道端の植栽の陰、雑草の小さな花の清々しさに惹かれる。
「雑草と言うなかれ!我にも名あり。お前が知らないだけだ」と怒られた。ごめんなさい。調べます。
<追記4月15日>
上の写真の草花は、「アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)」という、なんとも艶っぽい名前がついていました。
「那覇市場」、私が大好きな場所の一つである。庶民の暮らしと文化がそのままあり、私にとっては、なにより女性たちが生き生きと働いている姿が嬉しい場所だからだ。
その那覇市場の中核をなす「牧志公設市場」が、建物の老朽化による建て替えを終え、仮設市場での営業3年間を経て、去る3月19日、新装オープンした。
仮設市場での3年間は、ちょうどコロナ禍とも重なり、移転営業の軽費増や客足激減のなどで、移転を機に閉店した店舗も、少なからずあったようで、広々として近代的な設備などはいいとしても、かつてのような生活臭い市場の印象が薄くなっているのが、私にとっては、少し寂しい気がした。
でも、市場の女性たちは、いまも変わらず生き生きと働いている。「写真、いいですか?」と、声をかけたら、快くポーズをとってくれた魚屋さん。
「どこから来たねえ」 「なーふぁ(那覇)ん人ですよ~!」 「あい!観光客かと思ったさー」
こちらの白髪のステキな物腰上品な店主は、「おいくつですか?」との客の質問に 「いくつと思うねぇ」 「80歳?」 「90余っているよ(笑)」 沖縄独特の香辛料など商品説明も的確に伝えていた。
少し雰囲気は変わっても、那覇市場に生き生きと働く女性の姿は健在だ。
市場の二階は食堂・レストラン街。一階で魚などを買い、二階の食堂で調理をしてもらって食べることもできる。
ここで食堂を営む友人は、10数年ほど年前、両親からこの店を受け継いだ。今年で開業68年の老舗だ。お祝いの花を届けながら、陣中見舞いを兼て自慢の料理を味わった。「19日の新装オープン以来昨日まで、一日の休みもなく、まるで何かのお祭りみたいな混雑だった。今日は少し一息ついた感じ」と教えてくれた。
彼女たちのように、生き生きと働く女性たちがいる限り、那覇市場は、これからさらに、この場所にふさわしい、新たな歴史を刻んでいくであろうと期待する。私も通い続け、歴史をつくる庶民の一員になりたいと思う。