「手前みそ」を仕込みました!

 昨年、今年と友人から手作りのお味噌を頂きました。それがとてもおいしくて、市販のお味噌を使った味噌汁が味気なくなり、困ってしましました。そこで今年は彼女のお味噌づくりの仲間に入れてもらい、手前みそづくりに挑戦しました。

 味噌づくりは二日がかりです。JA糸満の婦人部の方の指導のもと、まず炊いたお米に麹菌を混ぜて二日間寝かせ、米糀をつくるところから行います。

 今回は4組が一グループになって作りました。私たちが会場に着いたときには、すでに農協の方が大釜にお米を炊き上げて待っていました。

 熱々のご飯を大きなトレーに移して適温まで冷ました後、麹菌をムラにならないように丁重に混ぜ合わせます。それがなかなかの力仕事で、この作業だけで1時間ほどかかりました。混ぜ終わると専用の保温機で発行を促します。初日はここまで。

 二日後の昨日(30日)が本仕込です。

本仕込みは12時作業開始。作業場に入ると、二日前に仕込んだ米糀が出来上がっていました。大豆もすでに炊き終わり、私たちの到着を待っていました。これを米糀と混ぜ合わせミンチにかけてから保存容器に詰めるのが今日の作業です。


 大変なのは、ミンチにかけた大豆と米糀を練り合わせ、空気を抜く作業。基本は、全ての行程で極薄のゴム手袋をして作業をしますが、グループ最年長の大先輩は、手袋越しでは感触がわからないし、粘りのある大豆の練りに手袋がからめとられ、途中で脱げてしまうのでとても面倒だと、自分の分は素手で捏ねていました。

 考えてみればこれぞ「手前」味噌です。よく、手塩にかけると言いますが、沖縄では「てぃあんだ(手油)」と言います。手に「塩」ではなく「油」なのです。特に発酵食品は、「同じ材料を使って作っても、つくり手によって味が違う」と言われますが、生き物の麹菌はそれこそ「てぃーあんだ」の違い、人柄の違い、住まいの環境の違いに影響を受けて、味も変わってくるのでしょうね。「手前みそ」と自慢できるようなお味噌に仕上げるには、背筋を伸ばし、心を清めて、麹菌に嫌われないようにしなければなりません。 

 空気が残らないようしっかり捏ねあげた味噌種を、こぶし大に丸めて、さらにたたきつけるようにして容器に詰めていきます。共同作業で全員分が仕上がるのに2時間ほどかかりました。(明日は筋肉痛で悲鳴を上げそうです)これが1人分の分量です。

 家族の少ない私は友人と半分に分けたので、これが出来上がりの量です。この容器いっぱいで7キロのお味噌が出来上がるそうです。食べごろは5か月後から。その後は発酵しすぎるのを止めるため、小分けして冷凍保存しながら、使う分を冷蔵に移して、日常使いにする仕組みです。(市販のお味噌は、発酵しすぎないように、出荷時点で発行を止める食品添加物が使われている)

 この日仕込んだお味噌は、来年5月頃から食べることが出来ます。我が家の手前味噌はどんな味に育つでしょうか!とても楽しみです。

 

 

2023年12月1日リンクURL

アメリカに占領されたままの日本 ~ 11月29日の辺野古

 

  昨夜は十六夜の月が、まだまん丸に帰宅途中の東の空にあがっていた。そういえばこのところ空を見上げる気持ちの余裕もなかったなぁと反省。忙しいとは心が亡ぶと書く、日本語ってすごいなといまさらながら思う。 

 今日も辺野古の一日が始まる。先週に続いて、県外からの参加者も多く心強い。

 今日は、これらを見るだけでも辺野古へ来た甲斐あったと思える見事なバナーの数々。パッチワークと刺繍の手作りである。製作者は「絶対に辺野古に基地をつくらせない大阪駅前行動」の方々。この活動は19年間、1000回を数えるという。

 パワフルな女性たちだ。「沖縄の皆さんと、いつも行動を共にすることはできないが、心はいつも一緒にある」と。熱い心が伝わってくる。

 正午前、2回目の座り込み。

 今日は熱い人たちが多かった。関東から参加の男性。「日本はいまだアメリカに占領されたままだ。横須賀にも基地があり市街地の空を飛んでいる飛行機はアメリカの飛行機だ。日本の飛行機はアメリカの許可がなければ飛ぶこともできない

 午後3時前、3回目の座り込み。午後になっても人数は減らない。

 若者たち頑張る!笑顔がいいね! 

そうだ!平和が一番!

 帰り際、またオスプレイが墜落したとのニュース。6人が乘った米軍のCV22型オスプレイが、屋久島沖で火を噴いて墜落したとのこと。(1人死亡が確認された)山口県の岩国基地から沖縄の嘉手納基地に向かっていたという。

 欠陥機として名高いオスプレイだが、軍事費増強の一環で自衛隊が大量購入を進めているオスプレイである。日本国民の税金が、アメリカの旧式兵器の在庫処分に使われるなんてまっぴらごめんでだ。

 

 

2023年11月29日リンクURL

沖縄から世界へ平和を発信しよう ~ 「11・23県民平和大集会」に一万人余

 「沖縄を戦場にさせない!その一点で集まろう」、そう呼びかけられた平和大集会。歌あり、踊りあり、老若男女が集える集会をめざして、ベテランシニア世代と若者世代が共に集い話し合いを重ねての大集会だった。


 

 

 

 

 

 

真っ先にあいさつしたのは、玉城デニー知事。

「なぜ日本政府は沖縄の不条理に正面から向き合おうとしないのか?不条理が存在する限り、私たち沖縄県民はこれからも絶対にひるむことなく行動し、平和の声をあげ続けていく。

 こどもたちの未来が戦争の未来であってはならない。私たちが求めている平和への思いを、全国で世界で共有するために行動しよう。今日のような集会を何度も開き、みんなが一緒であれば、必ず頑張る気持ちが一つにつながる。一緒にがんばって行こう!」

 主催者あいさつに続き、軍事要塞化される各島々からの現地報告、全国の共に闘う仲間からのメッセージなど、県内離島をはじめ、全国各地で同時開催されている会場へ生中継された。

  

  

  

 特に心に響いたのは、前泊博盛教授の基調報告。

 「新華社通信の記者に聞いた。台湾有事はあるのか?なぜ台湾有事が沖縄有事なのかと。沖縄は日本にとって、消耗品。いざとなれば切り捨てる。メディアが台湾有事を期待するかのような報道。テレビを見ていると、軍事化に反対する報道人が排除され、軍事関係者が画面を占拠している。そんなコメントを日々聞かされるたびに戦争が近いような印象操作をされてしまう。事実と証拠をしっかり把握してフェイクに騙されないようにしよう。

 権力とメディアが真っ先に腐る。平和と民主主義は守るものではなく、奪い取るもの。長期政権が腐るのはナチスと安倍政権が証明した。戦争とは政治家がはじめて軍人が死ぬ。老人がはじめて若者が死ぬ。だから若い人たちが動き出した。

 沖縄はこれまで十分に日本の犠牲になってきた。日本は沖縄に頼らず自分の足で立て!戦争するなら沖縄ではなく東京でやれ!軍事に頼らない平和を、安全保障を国民でつくっていこう」

会場を埋め尽くした万余の人々。

 平和への思いを書いた小魚のメッセージカードで大きな魚を描いたスイミーが高々と掲げられた。

 最後は、フォークソング「戦争を知らない子供たち」をみんなで大合唱して大会を締めくくった。

 

2023年11月24日リンクURL