ジュウルクニチー(十六日祭)で里帰り

 8日、9日はジュウルクニチーのため、ふるさと渡嘉敷島に里帰りしていました。

 「正月には帰らなくても、十六日(ジュウルクニチー)には故郷に帰る」と言われているのが沖縄の先祖供養の一つ十六日祭です。あの世のお正月ともいわれています。

 あの世のこととはいえ、お正月ですからごちそうをつくり、お供えします。今どきはスーパーやデパートなどで16日祭用のお重詰めを手軽に買えますが、我が家ではすべて自前で作ります。(と、言っても料理上手な妹たちがいるので、私はお手伝い程度ですが…)

 2種類のお餅と、9品の料理を詰め合わせたお重が定番です。沖縄の先祖供養は仏教ではないので、精進料理ではありません。お魚もお肉料理もあります。

 我が家ではまず、一族の始祖が眠っていると言われている「ウル墓」にお参りします。お墓とは言っても、それらしい建造物はなく、大きなテーブル珊瑚が2枚、重ねるように置かれているだけです(ウルとはサンゴ礁のこと)。香炉が3個あるのは、私たち以外にもここへお参りする一族があるということを示しています。

 かなり見事なテーブル珊瑚です。「もしかしたら、当時は風葬だったのかもしれない」と、想像してみたりしましたが、本当のところはわかりません。

 続いて、父や母、祖母の眠るお墓にお料理をもってお参りします。

 沖縄のお墓は、とても大きいことでつとに有名ですが、他府県のように家族単位ではなく、一族単位の門中墓、あるいは寄り合いで何軒かの家が合同で作るお模合墓だからなのです。近年は家族単位のお墓が多くなってきているようです。

 渡嘉敷島では、同じ時期にお墓をつくる必要がある人たちが合同で作る模合墓ほとんどのようです。我が家のお墓も当初は5~6軒が合同で作った模合墓だったそうですが、いまこのお墓を利用しているのは2軒だけになりました。

 かなり古く、石材のアワ石が風化したり木の根が石のつなぎ目に入り込んで、石積みが崩れかかっていたりして、改修が必要になってきています。

 アワ石はサンゴ礁を切り出した石材で、昔は城壁や石垣などに使われています。よく見ると珊瑚だった名残を見つけることができます。

 

 

 

 

 

 お墓の前には、紅葉し始めた大きなクワディサー(コバデイシ、モモタマナ)の木があります。沖縄では珍しく紅葉する植物の一つです。ただし秋ではなく、早春に紅葉します。

2020年2月10日リンクURL

孫たちの世代に戦争のない世界を残したい ~ 今日(2月5日)の辺野古

 日本列島は、この冬一番の寒さだという。おまけに雨。夏のカンカン照りもつらいが、沖縄の者には寒さが一番応える。

 防寒と雨具で、まるでだるまさんのように膨れあがった身体をお互いに笑い合いながら、ゲート前に座り込んだ。不屈の座り込み2040日目の辺野古。

 今日は午後1時半から、軟弱地盤の情報公開をめぐって、市民が訴えた裁判の証人尋問が那覇地裁行われるため、裁判傍聴にも人が割かれて人数が少なそうだと思ったら、一回目の搬入が始まる9時までには、およそ40人が集まり、座り込んだ。

 牛歩戦術でゲート前をゆっくりとデモっていたら、機動隊の挟み撃ちに会い、急いで歩くよううながされる。「ここをゆっくり歩くのも私たちの権利です!」

 一回目の搬入が終わった後、テントに戻ってくると、水曜日恒例の手作りスイーツの差し入れが待っていた。

 千葉から一人で参加した男性。「50年前に来て以来の沖縄。人生のラストステージを迎え、やり残したことがないようにと考えたら、辺野古へ足が向いた。政府がどんどん戦争の方向に進んでいく中で、孫たちの世代には戦争のない世界を残したい。それが自分たち世代の責任だと思う」と。

二回目の搬入に向けて今度は60名ほどで座り込む。

 辺野古では「歌」も大切な抵抗の手段。次々と自作の「辺野古抵抗の歌」が飛び出す。歌が終わるまで、機動隊も手が出せない。「かかれ!」の合図を出しかねている機動隊の隊長。歌と歌の隙間を狙って襲い掛かる機動隊。

 コンクリートミキサー車の他に、砂利や砂を運ぶダンプも多く、基地の中で渋滞を起こしていた。

 もしもの場合に備えて、医師や看護師資格を持つ救急隊が待機しているが、医労連の仲間が交代で全国から派遣されてくる。この日も4人が、ゲート前に座り込む人々を見守った。ありがたいことである。

2020年2月6日リンクURL

辺野古新基地建設をめぐる米国での動き「報告」③ ~ ジュゴン訴訟とINCNによるジュゴンの評価

 ③<ジュゴン訴訟とINCNによるジュゴンの評価>

 2003年より紆余曲折を経ながら現在まで続く米国ジュゴン訴訟は、この2月3日に第9巡回訴訟裁判において公開審理(日本の裁判での結審に当たる)を迎える。

 2018年8月の連邦地裁の判決を不服とした原告は、今回の控訴審で以下のことを求めている。1)辺野古新基地建設によるジュゴンへの影響について、国防総省が地域住民や環境団体などと協議を行わなかったことは、米国家歴史保存法に違反していると判断すること。2)新基地によるジュゴンへの「悪影響はない」とする国防総省の「報告書の結論も違反していると判断すること。3」国防省所の「報告書」を無効とすること。4)原告が要求した工事の差し止めについて連邦地裁に考慮するように差し戻すこと。裁判の枠組み上、控訴審は2014年4月までの国防総省の取り組みをめぐって争われている。しかし工事開始からすでに6年近く経過しており、今回の公開審理において工事開始後のジュゴンへの影響について議論がなされるのかも注目される。

<ジュゴン裁判米国弁護団の皆さん 2017、12、2>

 ジュゴン訴訟自体については、私たち市民は基本的には見守ることしかできない。ただ、長い間裁判を闘ってきた原告とEarth Justice の弁護士に感謝と労いの意を示すことは大切である。

 今後ジュゴン訴訟から派生した形で展開してきた米国連邦政府機関(海洋哺乳類委員会と国家歴史保存諮問委員会)への市民からの働きかけがさらに重要になる。その際、昨年12月に国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにおける、沖縄のジュゴンが独自の個体群(南西諸島地域)として分類し、金絶滅との評価が重要な意義を持つことになる。これらの取り組みに対しての支援をお願いしたい。

<2017年12月2日 ジュゴン裁判報告会から>

Okinawa Environmental Justice Project
吉川秀樹 

2020年2月5日リンクURL