辺野古抗議行動再開について ~ オール沖縄会議が協議

 沖縄県では、新たなコロナ感染者ゼロが今日まで26日間続き、人々の社会活動も徐々に自粛前に戻りつつある。

 辺野古新基地の埋め立て工事はまだストップしたままである。緊急事態宣言が解けた先週は、前週末に接近した台風の余波がまだ残っているため工事が再開できなかったとみられてるが、今週になってもまだ動き出す様子はないという。

<コロナ自粛で辺野古ゲート前での抗議行動は中止になったが、県庁前をはじめ各地元で横断幕やプラカードを掲げ、地域島ぐるみ会議による自主的なスタンディングアピール行動が取り組まれている>

 海上での作業の再開が抗議行動の再開の目途になるため、オール沖縄会議では、抗議行動再開に向けて、以下のような話し合いが行われたということである。

<協議事項>

<1>沖縄県が緊急事態宣言全面解除(5/21(木))、北部市町村会の訪問自粛解除(5/21(木))、公立小中高校の開校、等々の情勢を受けて、「辺野古工事」の再開が行われようとする場合(行われた場合を含む)の対応について。

<確認事項>

①.まず、沖縄防衛局に工事の再開をするな!との申し入れを「オール沖縄会議」として行い、記者会見を行う。

②.①の前に工事再開が行われた時は即刻(再開の翌日(再開が金曜日の時は翌月曜))に工事の中止の申し入れを行い沖縄防衛局前で集会、記者会見を「オール沖縄会議」として行う。

③.工事が再開された場合は従来通り辺野古ゲート前、安和桟橋前、本部港塩川地区、辺野古海上などでの「抗議・阻止行動」をその翌日から行う(金曜日の場合は翌月曜日)。ただコロナ禍との関係で、そのやり方については下記の通り「感染防止対策のガイドライン」を作成して行う。

〔註〕このガイドラインは沖縄県新型コロナウイルス感染症対策本部の指針に基づき作成した。

Ⅰ.このガイドラインの実施期間

   座り込み開始から当面の間とする

Ⅱ.座り込み行動における感染予防対策について

  ⑴マスクの着用を義務とする。マスクは参加者負担とする。

  ⑵熱中症対策としてマイボトルを持参し使用する。

  ⑶設置の消毒液等での手指消毒を徹底する。

  ⑷座り込み、集会等では参加者間の距離を最低1mとする。

  ⑸機動隊との対応は、いわゆるゴボーヌキを避け、自主的に移動する。

  ⑹1回目(8:30)、2回目(11:30)、3回目(14:30)とも、最初の座り込みのみとして、ダンプ等搬入車両の2グループが到達するまで行っているデモは、コール等による飛沫防止のため、取りやめとする。※ゲート向かい側歩道等での行動などを工夫する。メッセージボードなどの利用。

  ⑺マイクは、話し手が変わる都度、可能な限り、消毒用ティッシュ等で拭き取るように心がける。

  ⑻送迎車については、換気のため必ず窓を開けて運行する。また、乗車人数も配慮する。

  ⑼県外からの参加者については当面控えてもらう。

Ⅲ.各団体・島ぐるみ会議のバスなどの運行するバスについて

  ⑴マスク着用を義務づける。

  ⑵換気対策をとる。

  ⑶座席は2人掛けに1人とする。だだし、同一生計者は同席でも構わない。

<2>会議・集会の日程変更について

 ①県民大行動:6/6(土)中止(7月調整中)

 ②幹事会(「オール沖縄会議」)6/9(火)→6/16(火)17:00に変更(自治労/旭町会館)

 ③現闘部拡大会議6/15(月)→6/22(月)18:00(場所調整中)

 ④集中行動日6/18(木)→通常行動(7月は調整中)

 ※しばらくは、三密を避けながらの会議、集会となります。マスク着用などへのご協力をお願いします。

以上。

<↑辺野古への土砂搬出がない本部塩川港では、地元の人たちがのんびりと桟橋で釣りを楽しんでいる。5月13日撮影>

<追伸>

1.現場の状況について

  現場からの確認によれば、5/25(月)10:00現在、辺野古、安和、塩川での作業はなし。羽地内海停泊の輸送船は塩川沖に移動済み。辺野古海上作業なし。漁船警戒船約10隻が確認された。とのこと。

 

 

2020年5月26日リンクURL

9条の碑シリーズ⑥ ~ 石垣島の9条の碑

 2004年に建立された石垣島の憲法9条の碑はとてもユニークである。

 まず、碑の意匠(デザイン)、二つの石碑(碑文と像)が背中合わせに立っている。そしてその意味するところが深い。ネットで調べると次のような記述があった。

 「沖縄戦において日本の最南端に位置する石垣島の近隣の島々では、日本軍の命によってマラリア有病地帯への強制移住があり3600余の犠牲者を出した悲惨な戦争体験がある。日本の侵略を受けた国々と常に隣接し国境の地に住む島人達は、憲法9条に平和を託するところは大きい。

 人口4万6000余の住む石垣市で、去る6月「憲法九条のの碑」設置市民の会を設立、かつて日本の侵略を受けた中国大陸の石に、平和の誓いである九条を刻み碑とする事を考えた。鳩を刻んだ石(高3.4m)を平和のシンボルとして、今、倒れようとする平和の石を、憲法9条を刻んだ巨石がこれを支える事を意味するデザインとし、現憲法の公布の日である11月3日に序幕した」

 碑の横には建立の主旨を説明する小さな石碑もある。

 そこにはこう記されていた。『憲法9条は、日本の平和及び安全の道標であることを確信している。しかし内外の諸情勢は、いぜん厳しいものがある。よって私たちは迷うことなく「憲法9条の碑」をここに設置し、改めて内外にその意義を闡明(せんめい)にする。

2004年11月3日 憲法9条の碑設置石垣市民の会 デザイン・潮平正道 書・豊平峰雲』

 

<戦争マラリアとは

 第二次世界大戦で、八重山群島では具体的な戦闘行為はなく、戦死者はいないが、マラリアによって多くの住民が命を落とした。それが日本軍の命令による強制疎開(移住)だったことから「戦争マラリア」と呼ばれている。

 日本軍は、①住民が戦闘の足手まといになる、②住民が軍の機密を漏らす可能性がある。③軍の食料調達の観点から、当時マラリア有病地帯と知りながら、住民を石垣島の市街地以北や西表島などへ強制疎開(移住)させた。そのために多くの人々がマラリアに集団罹患し、当時の八重山の人口3万1,671人のうち、実に53.3%の人が発症し、11.5%に当たる3,647人が亡くなった。つまり、戦争中に大流行したマラリアを戦前のマラリアと区別して「戦争マラリア」と呼ぶ。

 死者は、主に10歳以下の幼児と61歳以上の高齢者に多く、また、石垣島の日本軍もキニーネなどの抗マラリア薬の欠乏で、680人の将兵が戦わずしてマラリアによって病死をしている。

2020年5月25日リンクURL