国際通り ストリートパフォーマンス

戦後復興の象徴的存在として「奇跡の一マイル」と呼ばれる国際通りは、毎週日曜日トランジットモール・歩行者天国となり、様々なパフォーマンスが繰り広げられます。

 今日は、創作太鼓集団「心」のパフォーマンスに出会いました。

大人のリーダーの元、下は5歳から高校生までの35人のメンバーで活動しているという創作太鼓集団「心(しん)」、カッコよかったですよ!!!

 わずか3秒ですが、エイサーの雰囲気を味わってください。

 

2019年6月30日リンクURL

 修学旅行の案内で 渡嘉敷島へ

 25日(火)は、修学旅行の案内で渡嘉敷島へ。大雨の予報だったが、何とか雨は免れ、まずまずのとかしき日和だった。

北山(ニシヤマ)展望台から望むケラマ海峡。74年前、戦は海の向こうからやってきた。この島々で起こった「集団自決」「慰安婦」という沖縄戦を特徴づける悲劇の数々がなぜ起こったのか、平和の創造のためにそれを知りたいと多くの平和学習ツアーがやってくる。

 この日案内した島根県の高校は、毎年修学旅行で沖縄にやってくる。沖縄に来る前に、沖縄の歴史、文化、自然、沖縄戦など生徒たちが自ら調べ、しっかり事前学習をしてくる。ときには私が知らない沖縄を知っており、私の方が教えてもらうこともあるくらいだ。こちらも生半可な知識では案内ができない。

 

 <彼らが事前学習で学び、まとめた修学旅行のしおり>

アリランの碑モニュメントの説明文を真剣に読む生徒たち。しっかり記録をとる。

 とかしくの海岸近くでゆうなの大木に出会う。一日花のゆうなの花は、朝、目が覚めるような鮮やかな黄色で開き、夕方には濃いオレンジ色に染まって、ぽとりと落ちる。

 その花びらで遊んだ子どもの頃の経験を伝えると、興味を示し早速実践を試みる生徒たち。

軽く握った親指と人差し指の輪の中に花びらを一枚乗せ、もう一方の掌で上から軽くたたくと、ポンと綺麗な音が出る。その音の出具合を競う単純な遊びだけど、なかなか難しく、楽しい。

長々と、沖縄戦の悲惨な話を辛そうに聞いていた彼らの顔に、若者らしい笑い声が戻ってきた。

午前中、北山の頂上から眺めた慶良間ブルーの海(トカシクビーチ)に、歓声を上げて飛び込む生徒たち。

残念ながら、カメさんとは出会えなかったそうだ。

紅く熟れたアダンの実に「パイナップル?」「食べられる?」と、興味津々。

 夕方、フェリーで戻ってきた泊港の船着き場で、「未来を担う責任のある者として、平和をつくるために自分は何ができるのか、これからも学び続けたい」と力強く語り、案内のお礼にと、見事な四部合唱で「島唄」を三線の伴奏付きで唄ってくれた。

 彼らの7泊8日の沖縄平和学習の旅はまだ4日目、南部戦跡、慰霊の日の国際反戦集会、渡嘉敷島、辺野古ゲート前、伊江島と続く。

さらに、学校に戻ると修学旅行の学びの記録と感想文が一冊にまとめられて送られてくる。今年はどんな感想文に出会うかと、いつも楽しみにしている私である。

2019年6月28日リンクURL

塩川港からの土砂搬出に抗議 ~ 6月24日の辺野古行動

24日(月)は、「慰霊の日」に日程を合わせ、山形と東京から辺野古行動にやってきた4人の友人たちと、9時発の辺野古バスに乗り込んだ。

 辺野古へ向かう途中のバスの中、「辺野古も、安和も工事の動きなし、本部塩川港へ向かえ」との現地からの指示が入る。塩川港から土砂の搬出の動きがあるという。

バスは急遽、行く先を変えて、本部塩川港に向かった。以下はその写真ドキュメントである。


11:00前、本部・塩川港に着くと、山城博治さんの指揮のもと、土砂を積んで港に入ってくるダンプと、土砂を船に降ろし出ていこうとするダンプの前に人々が立ちはだかり止めていた。

午前7時から始まったトラックによる搬入は、数台が入った後、駆け付けた本部島ぐるみの人たちを中心にした抗議の人たちによって4時間近く止められたままだという。私たちもすぐに抗議の輪の中に加わった。

 

 

 

 

 

港の中を民間の警備員がオレンジ色の網で仕切り、機動隊はその奥で、人々の動きを見つめて控えている。機動隊が動けないのは、「公共の港を一業者が勝手に網などをもって仕切ることは違法だ」と、県が許可しなかったためで、何かをきっかけに動き出すチャンスを見極めているようだった。

オレンジの網の向こう側にある桟橋では、空の土砂運搬船が入り口を開けて停泊していた。

事態が動き出したのは正午前、土砂を下ろして構内から出るのを何時間も止められているトラックに対し、リーダーの山城さんが、「トイレにも行けない、食事もできないというのは人権にも関わる」として、阻止行動を解除。(入るトラックは戻ろうと思えば戻れるため阻止行動を続けた)私たちも交代で昼食をとることになった。

と、そのとき抗議の人数が減ったのを見定めた機動隊が、オレンジの網を持った警備員を動かし、まるで囲碁の陣地取りのように、抗議の人々を押し出し、トラックの進入路を広げて、ダンプの前に立ちはだかっていた抗議の人たちを排除し始めた。

排除されても、辺野古のように私たちを閉じ込める檻はない。道路わきに運ばれて放された人々は、今度は列を成しているダンプの、車と車の間に座り込んだ。

 

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何度排除されても、次々、次の車の間に入り込む。その繰り返しが、何度も何度も繰り返された。

列をなすダンプ、それらが積んでいるのはどこからどう見ても赤土以外の何物でもない。それを岩ズリとしらばっくれる沖縄防衛局は、この国の政治(安倍政権)の象徴的な姿そのものだ。

 午後3時、まだまだ機動隊との攻防が続く中、那覇からのバスは後ろ髪惹かれる思いで帰途につかなければならなかった。<バスに手を振る山城博治さん>

 

2019年6月27日リンクURL