塩川港からの土砂搬出に抗議 ~ 6月24日の辺野古行動

24日(月)は、「慰霊の日」に日程を合わせ、山形と東京から辺野古行動にやってきた4人の友人たちと、9時発の辺野古バスに乗り込んだ。

 辺野古へ向かう途中のバスの中、「辺野古も、安和も工事の動きなし、本部塩川港へ向かえ」との現地からの指示が入る。塩川港から土砂の搬出の動きがあるという。

バスは急遽、行く先を変えて、本部塩川港に向かった。以下はその写真ドキュメントである。


11:00前、本部・塩川港に着くと、山城博治さんの指揮のもと、土砂を積んで港に入ってくるダンプと、土砂を船に降ろし出ていこうとするダンプの前に人々が立ちはだかり止めていた。

午前7時から始まったトラックによる搬入は、数台が入った後、駆け付けた本部島ぐるみの人たちを中心にした抗議の人たちによって4時間近く止められたままだという。私たちもすぐに抗議の輪の中に加わった。

 

 

 

 

 

港の中を民間の警備員がオレンジ色の網で仕切り、機動隊はその奥で、人々の動きを見つめて控えている。機動隊が動けないのは、「公共の港を一業者が勝手に網などをもって仕切ることは違法だ」と、県が許可しなかったためで、何かをきっかけに動き出すチャンスを見極めているようだった。

オレンジの網の向こう側にある桟橋では、空の土砂運搬船が入り口を開けて停泊していた。

事態が動き出したのは正午前、土砂を下ろして構内から出るのを何時間も止められているトラックに対し、リーダーの山城さんが、「トイレにも行けない、食事もできないというのは人権にも関わる」として、阻止行動を解除。(入るトラックは戻ろうと思えば戻れるため阻止行動を続けた)私たちも交代で昼食をとることになった。

と、そのとき抗議の人数が減ったのを見定めた機動隊が、オレンジの網を持った警備員を動かし、まるで囲碁の陣地取りのように、抗議の人々を押し出し、トラックの進入路を広げて、ダンプの前に立ちはだかっていた抗議の人たちを排除し始めた。

排除されても、辺野古のように私たちを閉じ込める檻はない。道路わきに運ばれて放された人々は、今度は列を成しているダンプの、車と車の間に座り込んだ。

 

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何度排除されても、次々、次の車の間に入り込む。その繰り返しが、何度も何度も繰り返された。

列をなすダンプ、それらが積んでいるのはどこからどう見ても赤土以外の何物でもない。それを岩ズリとしらばっくれる沖縄防衛局は、この国の政治(安倍政権)の象徴的な姿そのものだ。

 午後3時、まだまだ機動隊との攻防が続く中、那覇からのバスは後ろ髪惹かれる思いで帰途につかなければならなかった。<バスに手を振る山城博治さん>

 

2019年6月27日リンクURL