翁長知事の遺志を受け継ぐ~県民大会に7万人

会場の奥武山競技場を埋めた7万人の熱い思い。「翁長知事の遺志を受け継ぐ」「ありがとう翁長知事」「最大の供養は、辺野古新基地を止めること」など、急逝した翁長知事への追悼の言葉があふれた県民大会。

会場にあぶれ人たちは、隣の奥武山公園でスピーカーの音に耳を傾けた。フェンス越しに会場を見つめる人たちも。

大会が始まり中盤になっても、入ってくる人の波が延々と続いた。

 

 

 

 

 

大会のテーマカラーは辺野古の青い海を象徴する「辺野古ブルー」。翁長知事の急逝で「喪服に変えては」という声もあったが、「会場が黒一色に染まることは、翁長知事も望んではいないはず。辺野古ブルーのテーマカラーはそのままに、喪章や黒いリボンなどで哀悼の意を表現しよう」ということになった。人々は思い思いの方法で気持ちを表現した。

台風14号の接近で開会が危ぶまれ、前日夕方まで主催者側は延期か、開会かと検討を続けた結果、決行ということになった。「どんな悪天候でも参加する、いや厳しい状況だからこそ参加する」そんな多くの人たちの強い思いが決行を決断させた。降りしきる雨の中、誰一人立ち去る人もなく、大会は続けられた。

開会を前に、海勢頭豊さんが「月桃」「喜瀬武原」など、おなじみの平和の歌を歌ったあと、去る6月23日の慰霊の日戦没者追悼式典で翁長知事が読み上げた「平和宣言」の音声が流された。知事の肉声をかみしめるように、胸に手を当てながら目をつぶって聞いている人たちが多かった。

壇上、翁長知事が座るはずだった席には、この日のために新調したという辺野古ブルーの帽子が置かれた。「翁長知事は、いまここに私たち県民とともに居ます」と司会者の声に拍手が沸き起こる。

開会宣言のあと、黙とうがささげられ、「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」が始まった。

「まさに闘いがここからという志半ばに病に倒れ本当に無念だっただろうと思います。翁長知事はわたしと8月4日に面談した際、『一日一日しっかりと公務を着実にこなし、県民からのわたしへの付託に応えていきたいというのは”撤回”のことだ』とわたしに話されていました。

知事の思いを深く受け止め、私たちも辺野古に新基地は造らせないという公約実現に向けて、全力で取りくんで参りたいと思います。翁長知事が県民のためにまさに命を削って辺野古新基地反対を貫いた姿勢は、末永く後生まで語り継がれるものだと思います」。

知事職務代行の謝花副知事の挨拶は、翁長知事の遺志を受け継ぎ「撤回」を示唆していると受け止められた。

翁長知事の次男で那覇市議の雄治さん。「父の身体のことで、県民の皆さんにご心配をおかけしましたが、とても残念な結果となりました」と一瞬声を詰まらせながら、「父は生前『沖縄は困難の連続だが、ウチナーンチュ(沖縄の人)が心を一つにして闘うとき、君が想像するよりもとても大きな力になる』と何度も言っていました。

辺野古新基地建設が止められたよと父・翁長雄志に報告できるよう、皆さん一緒に頑張りましょう!」と会場に呼びかけた。

沖縄防衛局が新基地建設の環境保全策を議論するために設置した環境監視等委員会の副委員長委員だった東清二琉球大学名誉教授が、この大会にメッセージを寄せた。東氏は、委員会の理不尽ででたらめな委員会の在り方に抗議し委員辞任を表明したが、防衛局は2年以上も辞任を認めなかった。

「委員会での発言の確認も第1回目の後はありました。しかし、その後は議事録ができてくる度に全然違う。発言をしても、こちらの要求までは書いていない。委員会で藻場の問題も話しましたが、それは議事録には載らない。防衛省は自分たちの都合の悪いことは議事録に載せないのです。委員の意見を聞いて、それを守るのが防衛省のはずなのに、自分らに都合の悪いことは一切書かないで、都合のいいことだけ書いて、それを守っていくだけなのです。そんな委員会は意味がありません。

辺野古、大浦湾の環境は優れています。特に藻場はすごい。あんなに広い藻場は他にないです。それを埋め立てるのは自然破壊そのものです」。

そして、最後に「慰霊の日の翁長知事の発言には本当に感激しました。私は、翁長知事の埋め立て承認の撤回を支持します」とメッセージを締めくくった。

東氏のメッセージから見えてくるのは、腐りきった政府と内閣、これが安部政治の実態だ。沖縄に対してだけでなく一事が万事なのだ。

8・11県民大会は、改めて「辺野古NO」の沖縄県民の意志を強く示した。「日本の民主主義の最後の砦」とも言われる沖縄・辺野古。決して沖縄だけの問題ではないことを、全国の人たちに知ってほしい。

2018年8月11日リンクURL

ありがとう翁長知事~今日(8月10日)の辺野古

県民大会を前に、特別に設定された5日間の連続集中行動日五日目の辺野古。

先週の土曜日から工事用車両は一切入っていない。昨日になって、8月いっぱいは工事車両による陸からの搬入はないことが明らかになったが、それでも200人近くがゲート前に座り込んだ。

 

 

 

 

 

 

9時半以降は、暑さを避けて、メインゲート前のテントに移動して集会を続けた。各地からの参加者がマイクを握って挨拶、やはり急逝した翁長知事のことに話題が集中した。

オール沖縄共同代表の稲嶺進前名護市長、辺野古基地反対をともに闘う片翼を失った無念さを滲ませながら「翁長さんにお会いしてきた。背負ったものを下ろし、とても安らかなお顔でした。しかし、口元はやり残したことがあると、何かいい言いたそうな口元でした。

明日の県民大会は、翁長知事の遺志を継いで、改めて「撤回」誓う場に、そして沖縄はあきらめないと世界に示す場にしたい。その場に翁長知事がいらっしゃらないことがとても残念でならない。ねぎらいと感謝を込めて、翁長知事ありがとうございました」

.駐レバノン大使だった天野信夫さん。「アメリカに焦がれて外務省に入ったが、アメリカがイラク戦争を始めたとき、時の小泉内閣にたてついて外交官をクビになった。今のまま日米同盟を続けていくと日本の国に未来はない。しかし、いまそんなことを言っても政治家は誰も聞く耳を持たない。何より何を言っても書いてくれない日本のメディア。沖縄は唯一、それがわかって闘っている、辺野古はその最前線だ。

米軍の土地ととりあげに農民が立ち上がった砂川闘争と沖縄の基地問題は同根。「米軍駐留は憲法違反」とした伊達判決は、最高裁で政府と裁判長の密約により裏返った。以後現在の沖縄の基地問題につながっている。憲法9条こそ日本から米軍基地を追い出す要だ

今日は、県民大会に参加する県外からの人たちが多くを占めた。↓↑

ゲート前をデモ行進。いつもの「新基地反対」のシュプレヒコールを「翁長さんありがとう」に変えて、メインゲートから工事用ゲートを往復してデモ行進。

この日は、翌日の県民大会に備えて、午後1時半にはゲート前行動を切り上げて帰途に就いた。

2018年8月11日リンクURL