オスプレイ墜落から一年~抗議集会に3000人

昨年、名護市安部海岸にオスプレイが墜落したのは12月13日だった。事故から一年たっても、米軍からも日本政府からも、いまだに原因究明の明確な報告もないまま、オスプレイが沖縄中を飛び回っている。

墜落一年に合わせて、昨日(15日)名護市で抗議集会が開かれ、3000人が抗議の声を挙げた。

 この一年間に墜落を含む米軍機の重大な事故は20件にも及ぶという。先週は、一週間の間に、普天間基基地のすぐそばにある幼稚園と、小学校に米軍機の部品が落下し、危うく子どもたちの命が奪われるところだった。

 

<子や孫を国防の犠牲にするな!>

    <飛ばすな!沖縄の空を>

 現在、来県中のVFP(平和を求める退役軍人の会)の皆さんも参加した。代表してイラク戦争に参加した若者が発言。「正義に燃えて軍隊に入り、テロと戦うためイラク戦争に行った。戦争に参加して初めて知ったことは、自分自身がテロリストであるだけでなく、”すべての戦争がテロである”ということだった。沖縄の皆さんと一緒に声を挙げる。命どぅ宝(ヌチド タカラ!ヌチド タカラ!ヌチド タカラ!)

 

 

 

 

 

 

 

小学校への部品落下事故に抗議のため上京中の翁長県知事に代わって富川副知事が、知事のメッセージを代読、強い怒りと共に、改めて「新基地は絶対につくらせない」と宣言。また、稲嶺名護市長も、「陸にも海にも基地は造らせない」と決意を語った。

オスプレイの墜落を「不時着水」と言い換えたNHK、さすがに最近は「着水」とはいわなくなったが、それでも「安部海岸で大破」としている。どうしても「墜落」とは言いたくないようだ。

 

2017年12月16日リンクURL

VFPの皆さん頑張る!~今日(12月13日)の辺野古

13日(水)は、県外からの参加者も多かった辺野古ゲート前。一昨年、昨年に続いてVFP(平和を求める退役軍人の会)の皆さん16人が、軍人として鍛えられた大きな体でごぼう抜きに抵抗した。

VFP沖縄支部の代表・ダグラス・スミスさん。独自のTシャツを作成して「辺野古NO!」をアピール。

機動隊の檻に囲われても、抵抗を続けるVFPのメンバー。機動隊の隙を見て、6~7名が一斉に柵を飛び越えて、工事車両のダンプの下に潜り込んだ。

その中の一人が不当にも拘束され、パトカーで名護署に連行された。

一回目の強制排除が終った10時過ぎ、普天間第二小学校の校庭に、ヘリのガラス窓が枠ごと落下し、児童一人が軽いけがをしたとの第一報が、ゲート前で座り込む人たちに伝わり、衝撃が広がった。

それでも二回目、三回目のごぼう抜きを強行する機動隊に「こんな重大な事故が起きて、子どもたちが危険な目にあっても、あなたたちは基地をつくることに手を貸すのか!」と、人々の強い抗議の声があがった。

↓なぜか、何も積んでいない空のダンプも二台~三台と基地の中へ入っていく。

結局この日も3回にわたって260台余のダンプトラック、ミキサー車が基地の中に入った。

この日は、神奈川県平和委員会のメンバー25人も、辺野古の闘いのシンボル・ジュゴンのオブジェと一緒に座り込んだ。不屈の座り込み1256日目の辺野古ゲート前から。

 

 

 

2017年12月14日リンクURL

小学校の校庭にヘリから窓が落下

もういい加減にしてくれ!と叫びたくなる。

昨日(13日)午前10時過ぎ、普天間第二小学校の校庭に、普天間基地所属のヘリCH53から窓が落下、子どもたちの命が危険に晒された。

この日は奇しくも、昨年名護市安部海岸にオスプレイが墜落大破した事故からちょうど一年目に当たる日だった。しかも、つい5日目に幼稚園の屋根に同機種のヘリの部品が落下したばかりなのだ。

落下したとき、運動場では90人以上の児童らが体育の授業中で、落下の反動で小石が跳ね返り、男子児童の腕に当たり、軽いけがをしたという。直撃しなかったのは不幸中の幸い、神様が守ってくれたとしか言いようがない。

子どもたちはヘリから、円盤のようなものが落ちてくるのを目のあたりにして恐怖し、「みんなが無事だとわかって、先生は声を出して泣いていた」と、子どもたちが証言した。

翁長知事も早速現場に駆け付け状況を確認、開会中だった宜野湾市議会も、議会を中断して現場に急行した。

緊急に呼びかけられた抗議集会が、午後6時から宜野湾市役所まえで行われ、急だったにも関わらず300人余の市民が集まり、米軍と沖縄防衛局(日本政府)に抗議の声を挙げた。

地元を代表して桃原宜野湾市議は、「先週部品が落下した幼稚園も、今日の普天間第二小学校も、自分のこどもたちや孫たちが通った学校であり、いつも心配だった。いつか学校に落ちるのではないかという恐怖が現実になった。もう普天間基地の全ゲート封鎖しかない。具体的な行動に立ち上がろう!」と訴えた。

また、いち早く現場に駆け付けた照屋寛徳衆院議員は「こういう事故があったとき、いつもは米軍が現場を押さえて沖縄の立ち入りを認めないが、今回は教育委員会と学校側がメディアを締め出し、宜野湾市議会の議員団もすぐには入れなかった。午前中の事故なのに、やっとメディアが現場を取材できたのは夕方5時だった。これはおかしい」と、教育委員会の対応に疑問を投げかけた。(市からの指示だったのか、さらにもっと上からの指示だったのか)

また照屋衆議院議員は「防衛局長に電話をしたら、不在だと次長が対応したので、”こんな緊急なときにどこをうろついている!すぐに現場に来い!局長が来るまで校庭で待っている”と怒鳴った。しばらくしてやってきた。米軍は落下した窓は、米軍のものだと認めたようだ」と現場の様子を報告した。

翁長知事は今日(14日)急遽上京し、日米両政府に抗議し、原因が明らかになるまで、すべての軍用機の飛行を停止を求めることにしている。

昨年12月のオスプレイ墜落をはじめこの一年間に、米軍関連の事件事故は20件以上に上っている。県民の堪忍袋の緒は、とっくに切れた。

先週7日に同じ機種のヘリから部品が落下した幼稚園。ヘリからの落下物は、このトタン屋根に当たり、園庭に落ちたが、日よけのネットが張ってあったため、園児たちにけがはなかった。激しい衝撃音に保育士にしがみつくなど子どもたちに恐怖心を与えた。

     <ヘリから部品が落下した幼稚園を視察するVFPの皆さん>

落下した部品は、機器異常などをいち早く感知して知らせてくれるストロンチウム90収める部品のカバーで、放射能を発している可能性がある。

園には、「自作自演だろう」などと嫌がらせの電話が相次ぎ、ネット右翼の攻撃もおさまらないという。いわれなき誹謗中傷は絶対に許せない。

 

 

 

2017年12月14日リンクURL