I`m NOT ABE ~ 今日(11月29日)の辺野古

 

 

 

 

 

 

辺野古ゲート前では非暴力を鉄則に効果的な抵抗の方法を、それぞれが工夫を凝らして試みている。今日は写真のような安倍総理のお面を作ってきた人がいた。50枚を座り込んでいる人たちに「強制ではありません。こんな顔見たくもない!という人もいるでしょうから」と配っていた。

皆さんの反応は、「気持ち悪い!」「いやだ!」という人が多く。苦笑いしながらつけた人もいたが、数人だけだった。

そこへやってきた機動隊。座っている人を排除しようと屈めば、眼前にABEさんの顔と相対する形となる。どんな気持ちで人々を引きずり出し運んだのだろうか?

今日も三回の強制排除を受け、これまでの最高の267台(内207台はダンプ、40台は生コン車、)が基地の中に入った。

午前中に、海の工事現場で抗議船に乗って抗議行動をしていた船長が、軍警に拘束・逮捕されたという知らせがあり、軍用車両と米兵が出入りするメインゲートでも、Yナンバーの車を止める抗議行動を行った。

ここでも、基地の中から機動隊が出てきて、私たちを排除して米軍、米兵の車を通した。今や米軍を守るのが県警機動隊の仕事となっている。

いま辺野古を巡って緊急な問題は、埋め立て用の土砂を今のようにトラックで運んでいては、ゲート前の抗議行動などもあり、いつまでたっても工事が進まないので、防衛局は、船を使って辺野古まで土砂を運ぼうとしていることである。土砂の積み出しに国頭村の奥にある漁港の使用を県が認めたことから、奥の集落が全会一致で反対の声を挙げている。

「ノグチゲラやヤンバルクイナの鳴き声も聞こえるやんばるの静かな集落の中を、一日何百台ものダンプが行き来すれば、住民の生活や自然環境に与える影響は甚大。

沿道には村の小中学校もある。子どもたちが、天然記念物のヤンバルクイナやセマルハコガメの交通事故への注意を促す看板を立てているが、それでも希少動物の交通事故が少なくない。大型車の通行量が何十倍にも増えれば、その結果は目に見えている。のどかに暮らしているお年寄りたちも、怖くて気軽に外出もできなくなる」と、島ぐるみ会議やんばるのメンバーが訴えた。

奥の住民だけでなく、辺野古新基地に反対する人たちが、使用許可の取り消しを求めて再三県に抗議と要請を行っている。

 

2017年11月30日リンクURL

ショパンの手紙~崔善愛ピアノコンサート

「”ピアノ詩人”といいわれるショパン。その曲は、なぜあれのほど情熱的で激しく、また切ないのでしょうか。
その背景にあるものは、
祖国を大国に奪われた亡命者の苦しみや怒り、
二度と祖国の家族や友人と会えない悲しみでした。
同じように日本に帰国できなかった経験を持つ
ピアニスト崔善愛が、共感をこめてショパンの生涯をたどります」

そんなチラシのコメントに誘われて、日曜日の午後のひとときを、沖縄キリスト教学院大学のチャペルで行われた、素敵なピアノと朗読のコンサートでぬちぐすいしてきました。

在日韓国人として生まれ育った崔さんは、指紋押捺に反対していたため、アメリカへの留学の際、「再び日本へ帰国できないかもしれない」との覚悟で出国しました。

留学先で手にした「ショパンの手紙」いう一冊。ショパンが、ドイツに占領された母国ポーランドを出てフランスに向かうときの不安、悩み、自分を育てた国への愛着が記された書簡集でした。ショパンの曲に秘められた思いと、自らの境遇に重ね合わせ、心を揺さぶられます。

崔さんは言います。「そのとき、はじめて私の前に、ピアノの詩人としてではなく、自分の国を追われ、苦しみ、悩み、怒る一人の人間としてのショパンの姿が表れた」

朗読の斎藤とも子さんの父親も、「まだ中学生だった戦時中、朝鮮北部から引き上げるときに朝鮮の人たちに命を救われ、無事日本に帰って来られた。そのおかげで自分がいま、ここにいる」と、それぞれに万感の思いを語りました。

そんな二人が、アメリカと日本という大国に翻弄される沖縄に心を寄せたのは必然でした。熱望していた沖縄での演奏会が実現して感無量の二人のコラボが、また聞く人たちの心を揺さぶりました。

 

崔善愛さん

さすがに演奏中はシャッターを切れませんでしたので、情熱的な演奏風景は撮れませんでしたが、演奏が終わって、今回の沖縄でのコンサートにかける思いを、こみ上げてくるもので言葉を詰まらせながら語るお二人。翌日は辺野古ゲート前へもいかれるということでした。

2017年11月28日リンクURL

秋の終わりにトックリキワタ

 花が咲かなければ、そこにそんな木があることも気づかないこともよくあります。

よく買い物をする栄町リウボウの駐車場の片隅に、大きなトックリキワタの木があって、いま満開です。かなり大きい木ですから、もう何年もこのように花をつけていたの思うのですが、今年初めて気がつきました。

遠目には桜にも見えるトックリキワタ。カポック、トロボチ、沖縄では「南洋ざくら」と言われ親しまれています。

近づくと、やっぱり桜とは全く違いますね。

トックリキワタを日本で最初に導入したのは、当時まだアメリカ軍の軍政下にあった沖縄です。琉球政府の農業技術者であった天野鉄夫さんという人が、1964年、沖縄県民が多数移住したボリビアの移住10周年記念式典に参加した際に、ボリビアから種子を持ち帰ったて栽培に成功し、県内各地に植えられるようになったそうです。

沖縄では10月下旬〜12月上旬に花が咲きます。

辺野古へ向かう高速道路の沿道にも十数本のトックリキワタが花をつけていて、車窓から眺めると桜並木のようでもあります。

2017年11月25日リンクURL