<NHKスペシャル「沖縄と核」に衝撃>
去る9月10日に放送されたNHKスペシャル「沖縄と核」が波紋を広げている。1950年代、沖縄が世界一の核兵器集積地だったというスクープドキュメントである。その数1300発、いまアメリカとロシアが所有する五分の一の量に相当する核兵器が、沖縄に集中していた。それだけでなく、事故による誤発射やキューバ危機に伴う核戦争の勃発で、沖縄が壊滅する危機が何度もあったという衝撃的な内容だ。
<なぜ 沖縄に核兵器が集中?>
当時はまだICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)など、長距離核攻撃を行う技術が開発されていなかったため、アメリカ軍は核兵器を前線基地に配備する必要があった。それには中国、ソ連、朝鮮半島に近い日本の米軍基地が最適とされ、沖縄だけでなく「本土」にも配備する計画だった。しかし、1954年にビキニ環礁で第五福竜丸など日本の漁船が水爆実験の死の灰を浴びる事件が起き、全国で反核運動が高揚したことから「本土」への配備計画は見送られた。その結果、当時アメリカの統治下にあった沖縄に集中することとなった、と番組は強調している。
<沖縄消滅の危機>
番組は元アメリカ軍兵士の証言をもとに、隠され続けてきた衝撃の事実を次々に明らかにした。
1959年、那覇基地(現在の那覇空港)に配備されていたナイキ・ハーキュリーズ(核ミサイル)一発が、整備中に暴発して発射され、兵士1人が死亡する事故が起きた。核弾頭を装着したミサイルは、那覇沖の海中に落下、核弾頭は回収されたが、事故については厳重なかん口令が敷かれ、隠され続けた。「もし爆発していたら那覇は壊滅しただろう」と、元兵士は恐怖の表情で語った。
また、嘉手納弾薬庫で核兵器の整備を担当していた別の兵士は、1962年キューバ危機の際、核の発射スイッチはすべて発射準備完了を示す「HOT」となり、誰もが核戦争が始まると思った、という。「沖縄は消滅する。もう家族には会えないと覚悟した」と、いまも残る核ミサイル発射台の前で証言した。
<”あわや核爆発”B52墜落事故>
番組を見ながら、私はもう一つの“核爆発の恐怖”を思い出した。ベトナム戦争真っただ中の1968年11月19日、米軍戦略爆撃機・B52が、嘉手納基地で離陸に失敗して墜落炎上した。「黒い殺人機」と呼ばれたB52は、沖縄から大量の爆弾を積んで発進、米軍によるベトナム攻撃の中心的な役割を担っていた。
そのB52が墜落した場所は、核兵器が貯蔵されていた知花弾薬庫(現・嘉手納弾薬庫地区)の真ん前、距離にしてわずか数十㍍、あと2~3秒で弾薬庫に突っ込んでいただろうといわれた。隠していたとは言っても、米軍基地の中に核を扱う部隊や施設が存在していることは、多くの軍雇用員や関係者が目撃しており、沖縄県民にとって核の存在は“公然の秘密”に過ぎなかった。(次回につづく)