無残に変わりゆくやんばるの海と山 ~ 7月5日の辺野古

 梅雨明けと同時に、朝はセミの声で寝床から起きだす時間がわかるようになった。東の空が明るくなるといっせいにセミの合唱が聞こえてくる。難聴で、補聴器をしていても人との会話に不自由している私だが、セミの合唱はうるさいほどに聞こえるから不思議。とても有難い目覚ましではある。自然の持つ力には、いつも感謝するばかりだ。それにしても暑い。

 水曜日はいつものように辺野古へ。

   

 

 

 

 

 

9:00前、今日1回目の座り込み。県外から手作りのメッセージボードを持って参加した若者。最初右側のメッセージを掲げていたが、途中からボードを裏返し、左側のメッセージに切り替えた。後でその理由をこう語った。「実際に座り込んで、皆さんがいかに厳しい状況の中で抵抗しているかを実感し、自分のメッセージがいかに生ぬるいか恥ずかしくなった」と。 

 10:30 第4ゲートで抗議行動。

 新基地建設工事で破壊され、日々無残にも姿を変えていく辺野古の海と山々に胸がキリキリ痛む。 


正午前、工事用ゲートでの今日2回目の座り込み。

 私は、午後から別日程があるため、みんなと一緒にいつものランチバイキングを堪能したあと、辺野古を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

工事用ゲート向かいでキキョウラン、駐車場の周辺でクワズイモの実が色鮮やかに実っていた。

 

 

 

2023年7月6日リンクURL

梅雨明けの辺野古(6月28日)から

 水曜日はいつもの通り辺野古へ。このところハードスケジュールが続いていたので、身体がだるいくて重い、なんてこと言っていられない。この後も、もう一人私が欲しいと思うくらいこなさなければならないことが目白押しだ。

 

 今日一回目の座り込み。慰霊の日の前後でお休みが続いたので、2週間ぶりの辺野古となる。再度ならぬ9度(たび)コロナが急増しているため、機動隊にごぼう抜きされるのは避けるようにと、リーダーから注意があった。

 10:30、第四ゲートで座り込み。いや今日は立っている人が多かった。私は地べたにベタっと座った。機動隊が立ち退きを促してもなかなか立ち上がれなかったので、「手をお貸ししましょうか?」と言われてしまった。親切か、皮肉か?一応「ありがとう!」と礼は言ってから自ら立ち上がって、ノロノロと規制線の外へ。

 大浦湾では、土砂を山積みした2隻の台船の上で重機がせわしく動いている。慰霊の日前後の休みで遅れた分を取り戻そうとフル回転しているのだろう。

 カメラのピントは合っているのに霞がかかっているように見えるのはPM2・5だろうか。この 数日かなり強力に降りそそいでいるようだ。コロナだけでなく、PM2・5対策のためにも外出の時はマスクをした方がよさそうだ。


 私は午後から沖縄市で別日程が入っているため、二回目の座り込みを前に辺野古を後にした。 

 いつもながら自然の姿に癒され励まされる。(辺野古集落にて:満開の崑崙花)

 

 

2023年6月28日リンクURL

‘23慰霊の日点描 (5) 平和の礎 ~ 子どもたちの姿に「平和」を見た

 戦没者追悼式、国際反戦集会が終わって、もう一度平和祈念公園に戻り「平和の礎」に刻まれる祖父をはじめ、集団自決で命を奪われた渡嘉敷島の人たちの名前に手を合わせた。

 「平和の礎」は、その建立の目的を県民の意志として、こう記す。

 私たち沖縄県民は、去る沖縄戦などで貴い命を失ったすべての人々に哀悼の意を表し、悲惨な戦争の教訓を後世に正しく継承するとともに、沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平を願い、太平洋戦争沖縄戦終結の50周年を記念して、ここに「平和の礎」を建立する。1995年6月

  

「平和の礎」周辺は、小さな子ども連れの若い家族であふれていた。

 永遠に燃え続ける「平和の火」の泉で、無心に水と戯れる子どもたちの姿を見ているだけで、こちらも自然に頬が緩み笑顔になる。「ああ!これこそが平和なのだ」と、胸がジンと熱くなった。

 

 

2023年6月26日リンクURL