新基地建設にNOの候補者を国会に送ろう!! ~ 10月16日の辺野古から

 朝6時過ぎ、東の空に朝日が顔をのぞかせた瞬間。

 辺野古行きのバス乗場に向かうモノレールの駅で、いつもその日のお天気のご機嫌をうかがう。今日は穏やかに晴れそうだ。

 

 ヘリ基地反対協の安次冨浩さん。時間の許すかぎり、毎日辺野古ゲート前に座り込む。辺野古新基地が、まだ「ヘリ基地」といわれていたころから30年にならんとする年月を、新基地に反対して闘い続ける地元住民のひとりだ。

「代執行」という理不尽な国家権力によって、完成するかどうかも分からない大浦湾の軟弱地盤改良工事が始まった。これまで様々な手段で新基地に反対して闘ってきたが、選挙もその一つ。特に今回の衆議院選はどうしても勝たねばならない。新基地NOの候補者を国会に送ろう!」と、激を飛ばした。

 海外のメディア(カナダの放送局)も沖縄「辺野古」に大注目。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見事なパッチワークで、いくつも辺野古へ応援グッズを届け続ける関西の女性。作者は80代の女性と言う。感謝!

 2回目の座り込みで、若者の指導に即席で覚えたダンスを踊る。気持ちは若者たち。

 

 

 

 

 

機動隊に何と言われようと毅然として座り込む。運ばれるときも毅然と、肝の据わった若者。                                                                                   

朝夕は少し秋の気配を感じるものの、最高気温は30度を越える。空気が澄んでいいるだけに、日差しは、日傘ではカバーしきれない靴の中まで、刺すように入り込んできて、背中を流れる汗に往生した。

テントに覆いかぶさるように枝を伸ばす琉球松からは姿は見えねど、補聴器をした耳にはうるさいほどのボリュームで蝉の合唱が聞こえる。彼ら(メスは鳴かない)にとって夏の終わりは命の終わりでもある。そう思うとなんだか切ない。「うるさいなんて言ってごめんね」

 

2024年10月17日リンクURL

長野市で「沖縄報告会」開催

 10月6日は、長野を訪れた機会にと、地元の方々が「沖縄報告会」を企画して下さり、「沖縄のいま~米兵の性犯罪と辺野古新基地建設の現場から」と題して、お話をさせていただいた。

 100人以上の方が駆け付けて下さり、真剣に沖縄の状況に耳を傾けて下さった。

 アンケートにも52名の方が応えて下さった。

  お母さん、おばあちゃんと3人並んで最前列で聞いていた9歳(小学3年生)の女の子の感想文に感動した。

 主催者が呼びかけたカンパも10万円を越え、石垣島の自衛隊ミサイル基地に反対する「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」「沖縄平和市民連絡会」「基地・軍隊を許さない女たちの会」へお届けした。ご協力くださいました皆さん、ありがとうございました。

 7日、8日は東京で「安保法制違憲訴訟・女たちの会」「アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館」「一坪反戦地主会関東ブロック」の3つの女性グループと、それぞれ交流し、8日最終便で沖縄に戻った。充実の一週間だった。,

 

2024年10月15日リンクURL

辺野古新基地建設・代執行は憲法違反 ~ 10月9日の辺野古

 前夜の最終便で長野・東京から沖縄に戻り、自宅に辿りついたのが午前零時少し前、何とか起きることはできたものの、乗り物酔いと睡眠不足で足元ふらつきながら午前五時前起床、身支度を整えて、いつもの通り辺野古へ向かう。       

 

 

 

 

 

 

 

 辺野古へ着くと、今日も嬉しい差し入れが待っていた。バナナと箱いっぱいのシークワーサー。枝付もある。いずれも自宅の庭で育ったもの

 辺野古では、毎日の抗議行動はしんどくても、こうしてそれぞれが持てるものを持ち寄り、お互いに思いやる気持ちがあふれていて、28年も続く闘いの原動力となっている。

 いつもの風景で「見飽きた!」という方もいらっしゃるかもしれないが、目をそらさないで見ていただきたい。

 この日は、辺野古新基地に反対する市民グループが訴えた「辺野古住民訴訟」の裁判があり、原告適格が認められた辺野古住民が証言をすることになっている。

 住民の1人、金城武政さんが裁判の意義などを訴えた。

 

 ほぼ毎月沖縄を訪れ、辺野古へ来て下さる内田雅敏弁護士は「県民投票など、民意を無視した辺野古埋め立て・代執行は憲法違反」と断言した。

 

 私たちと共に座り込み、県警に排除される内田弁護士。


 

 

 

 


 先週に続いてダンプ、ミキサー車の五月雨搬入が続き、だらだらと1時間もかかった。

 キャンプ・シュワブの金網の外から見える場所に、ゲート以外に建物は何もなかった。この10年の間に、海側にあった建物がすべて壊され、ゲートの周辺が新築の建物で埋め尽くされた。


 

 

 

 

 

 

 

 10月10日は、沖縄戦米軍上陸の前哨戦・ 那覇大空襲から80年、私の父方の祖父も10・10空襲で亡くなった。

2024年10月10日リンクURL