「骨は折れても、心は折れない 」 ~ 安和事故の被害者からのメッセージ

 先週水曜日の辺野古は、他に伝えるべきこともあつたが、別項でと思っているうち、多忙に紛れて報告が遅れててしまった。

 辺野古土砂の搬出港・安和桟橋の抗議現場で起ったダンプ事故の巻き添えで、瀕死の重傷を負ったOさんは、毎週水曜日に辺野古へも通う私たちの大切な抗議活動仲間である。先週の水曜日、Oさんと電話で話すことが出来た。

 事故からまだ一月余、骨盤・大腿骨骨折の大怪我を負いながら、もう歩く練習(リハビリ)ができるほど回復に向かっているという。驚異の回復力である。いつものOさんらしく、どこまでも前向きで明るい声だった。

 7月の辺野古大行動で、Oさんのお姉さんが経過報告してくださったお話の内容を、文字にしてくれた方がいたので、掲載する。

裏写りして読みづらいですが、ご容赦を!

2024年8月4日リンクURL

辺野古は沖縄だけの闘いではない! 世界の平和と繋がっている ~ 今日(7月31日)の辺野古

 今日の辺野古ゲート前は多彩な人々で話題豊富な、そして熱い暑い一日だった。

 

   朝9時の搬入、若者や県外、アメリカからの参加者も混じって、いつもとは少し雰囲気の違うスタート。

 お二人はアメリカから、全米に200以上の支部を持ち、8万人の会員がを持つ社会主義者のグループ。人権や差別、貧困、パレスチナの問題など、アメリカの戦争マシンをどう止めるかという闘いをしているという。「辺野古に基地をつくるのはアメリカ帝国主義の仕業。辺野古の問題をどうアメリカに伝えるていくかを模索している」。

 黒いおひげの人は、バーレンの出身。「いまから20年以上前、バーレンの美しい湾を埋め立てて米軍基地が作られた。人々は反対して闘ったが基地はつくられてしまった。基地が出来たことで、山は崩され、土地、空気が汚れて悪臭が漂い、エアコンをつけてもすぐに目詰まりして止まってしまう。砂浜を両手ですくうと、貝やエビがいくらでもとれた自然豊かな湾の30年後の姿である。失ったものをとり戻すことは難しい。一生懸命やったが、もっと闘って止めるべきだったと悔やむ。

 今日、皆さんと一緒に座り込んで、こうして闘い続ける人たちがいるとことを知り、とても勇気づけられた。辺野古の闘いは沖縄だけの闘いではない。世界中の平和の闘いと繋がっている。闘い続けることは決して楽なことではないが、次の世代、子どもや孫たちの世代のために是非闘い続けてもらいたい。共に闘いましょう」。

 まるで辺野古の30年後の話を聞いているかのようだった。

 

 今日2回目の座り込み。映画やネットで沖縄の状況を配信し続ける若者。数年前、辺野古に来たことがきっかけて、沖縄で起きていることが県外ではほとんど伝わらないことに衝撃を受け、こんな理不尽なことがあってはならないと、沖縄に移住。映像で沖縄を伝え続けている。

 3000678日。決して短い日々ではない。10年後も、私たちはここに座り込んでいるのだろうか?改めて看板を見つめ直す今日の辺野古。

 

2024年7月31日リンクURL

戦争はもう始まっている ! ~ 日米軍共同訓練に抗議するうるま市民集会

 今日(7月27日)は、うるま市の陸上自衛隊勝連分屯地前で行われた日米軍の共同訓練「レゾリュート・ドラゴン24」に抗議するうるま市民集会」に参加した。

 

 

 

 

 

 

 

     

勝連分屯地には、地対艦ミサイル連隊と高射特科連隊、西部方面後方支援隊があり、さまざまな基地機能を備え、明日から宮古・八重山・与那国など自衛隊基地ある各所で始まる日米軍の共同訓練「レゾリュート・ドラゴン24」の中枢的役割を担っている。

 

 今回の日米の共同訓練は、自衛隊の従来型陸・海・空の作戦に、米軍の宇宙・サイバー・電磁波という新たな領域を加えた作戦で中国を攻撃するという作戦構想であると言われる。沖縄が戦場になるという想定である。

 国会議員団を代表して屋良朝博衆議院議員は「もう戦争は始まっている。沖縄が声を上げるのをやめたら、この国は亡びる」と、沖縄の闘いの重要性を訴えた。

 自衛隊基地の中で、米軍が実射訓練が定期的に行われている大分・日出生台の市民の会から「大分も同じ時刻に集会を持ち、沖縄と共に闘っている」とメッセージが寄せられた。

 集会は「私たちの生命とくらしを脅かす地対艦ミサイル及び地対空ミサイルを配備している勝連分屯地の撤去と、日米実働訓練の中止を求める」とした決議文を採択し、勝連駐屯地指令に直接手渡した。

 勝連は、あまわりを生んだ勝連城址を擁する肝高(誇り高き)の地である。これ以上国策の軍事行為による地域の自然、文化、暮らしの破壊は許せない。

 

 

2024年7月27日リンクURL