米軍上陸80年目の日(3月26日)の辺野古

 予報は晴れなのになぜか朝から雨模様。天も泣いているのか!3月26日は、80年前沖縄の地上戦が始まった日。

 米軍の初上陸地となった慶良間諸島では、日本軍の足手まといにならないようにと、住民が「集団自決(強制集団死)」に追い込まれた。26日に座間味村の島々、28日渡嘉敷島。軍隊がいなければ起こらなかった惨劇である。いま戦争する国へとまっしぐらの日本。またあの愚を繰り返そうというのか!

 辺野古ゲート前でも第一の話題となった米軍上陸の日、80年経ってもいまだ居座り続ける米軍と、戦争したい国・日本の最前線からの報告。

 この日も白ナンバーの違法ダンプが横行した。これまで沖縄でしか通用しない数々の違法を重ね、果たして完成できるのか、いつまでかかるのかもわからない工事を、ただ既成事実を重ねるためだけに強行する日本政府。日本が勝手にやっているのだと我関せずの米国・米軍、痛めつけられ被害を被るのは沖縄だけだ。と、もし沖縄以外の国民がのほほんと思っているとしたら大間違い。沖縄で起きていることは、間違いなくすぐに全国に波及する。

 先日長野県松本空港に、米軍普天間基地所属のオスプレイが不時着、空港が閉鎖になった。「民間の空港をわが物我で使うのか!」と友人が驚愕していたが、在日米軍の70%集中する沖縄では80年間続く日常茶飯事だ。曲がりなりにも沖縄も日本なのだから。

 一回目の座り込みを終えテントに戻ったら、暖かい沖縄ぜんざいの差し入れが届いていた。  

感謝!

 

 

 

 

 

2025年3月27日リンクURL

戦争の愚かしさを教えてくれる ケラマブルーに輝く渡嘉敷島

 20日(木)は、関西で「慰安婦」問題に取り組む友人らを案内して渡嘉敷島へ行ってきた。

 雲が多く決して完ぺきとはいえなかったが、ここ数年渡嘉敷へ行くたび悪天候に見舞われ、紺碧の海を見ることが出来なかったので、久々にある程度うなずける慶良間ブルーに出合えた。

 野山はシャリンバイ、テリハボク、ケラマツツジ、野アザミの花々が咲き乱れ、ムラサキシキブ、ヤマモモが鈴なり、今まさに春爛漫。ここが戦争の爪痕深き島であることを、しばし忘れさせてくれた。

 が、我にかえって見れば、自然の美しさと戦の悲惨のコントラストが、逆に戦争の残忍さ、愚かしさを浮き彫りにする。

 「慰安婦」問題に取り組む友人たちが、この島にやって来たのは、「慰安所」跡や、アリランのモニュメントがあるからだ。

 沖縄戦当時、沖縄には145ヵ所もの「慰安所」があったとされるが、その中の様子がわかっているのは、唯一渡嘉敷島の「慰安所」だけである。

 しかし、そこだけを見ても、問題の本質は見えてこない。なぜ戦争が起こるのか?なぜ「慰安婦」という存在を生み出したのか?ことの本質を問わねば、戦争も止められないし「慰安婦」問題の解明にもつながらない。案内をしながら、どう説明すれば伝わるのかと、いつも苦悩する。

 

2025年3月22日リンクURL

1日361万円のサンドコンパクション工事船 ~ 3月19日の辺野古

 アップが遅れてしまったが、19日水曜日の辺野古報告である。

 この日は関西からの友人ら3人を案内して、レンタカーで辺野古へ向かった。工事用ゲート周辺の山々は日々削られ無残に赤土を晒す。抗するすべのない身が悲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 座り込む間もなく機動隊の排除が始まる。友人らも機動隊に担がれたが、長年憲法9条や「慰安婦」問題に実践的に取り組む百戦錬磨の人たちなので、怯むことなく座り込んでいた。

 一回目の座り込みを終えてテントに戻るバスの中から見える風景。さっきまで座り込んでいた工事用ゲートのすぐ後ろの海からニョキッと頭を覗かせるサンドコンパクション工事船。異様さに寒気がする。

 この日はあさイチから人が多かったが、正午前の2回目はさらに増え、多彩な参加者が場を盛り上げた。博治さんも「辺野古が頑張って闘い続けていることが、同じ状況にある全国の人々を勇気づける!」と、激を飛ばした。

 昼食後ゲート前を離れ、大浦湾側から海の様子を見た。

 このサンドコンパクション工事船は、民間の船だが辺野古の工事に合わせて国が一隻当たり2億~5憶の負担をして改装したうえ、稼働していようがいまいが1日一隻361万円が支払われるという。この日は5隻が大浦湾に浮かんでいた。

ああ!なんという税金の垂れ流し!

 野菜やお米の50円、100円の価格変動に一喜一憂する庶民の感覚からは想像もつかない。

 

 

 

2025年3月21日リンクURL