今日(6月26日)の辺野古

DVC00029.JPGゲート前の抗議行動は、出勤する海保や工事車両を基地の中に入れないため毎朝6時から始まる。

しかし、この日は抗議行動の開始時間を見越して海保の車が5時半過ぎに基地内に入ったことが明らかになった。

6時に間に合わせるつもりでゲート前に到着したら、抗議行動は泊まり込んでいた人たちを中心にすでに緊迫した状況になっていた。

それでも大方の工事車両がやってくるのは7時過ぎ、基地内での作業を1分1秒でも、遅らせるのが目的なので、工事車両専用ゲートに座り込む。

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ゲート前の抗議行動と海上での抗議船やカヌーチームの抵抗で
埋め立て作業のための海底調査が、すでに予定より半年以上遅れているが、防衛省は、6月末終了予定をさらに延長すると、数日前に発表している。

赤ちゃん連れの若いお母さん。ただ見守るしかできないが、しっかりこの目で見届けたい。この子の将来のためにと…。

赤ちゃん連れの若いお母さん。ただ見守るしかできないが、しっかりこの目で見届けたい。この子の将来のためにもと…。

ゲート前のテントにはこの日も常時70人から150人の人たちが
県内各地、県外からもやってきて座り込んだ。
9時半から抗議行動の第二波が始まる。

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この日はまず、長期にわたって泊まり込みの抗議行動に参加している若者の誕生日をみんなで祝った。働いてお金を貯めては年に数回辺野古にやってくる愛称カトちゃん。

恒例のかじゃで風(おめでたい時に歌い踊られる沖縄の古典音楽)に誕生日ケーキ、カチャーシー。彼女には内緒のサプライズ誕生会だったので、思わず涙ぐむカトちゃんだった。

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今日も思いがけない差し入れがあった。雑貨の小売店をしているという男性が名前も告げず…。

数十個のリゾートバッグとサンダルの差し入れ。

数十個のリゾートバッグとサンダルの差し入れ。

ゲート前は沖縄の夏の厳しさが身に沁みる。高齢者も多いので、熱射病には参加者がお互いに気を配りあう。ただ今日は風があったので、琉球松の木陰のテント下は結構涼しかった。緑の力は偉大だ。自然は大切にしないといけない。海だけでなく緑の山も壊す基地の建設はNOだ!

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不屈の座り込み355日目の辺野古から。

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前日25日は、那覇市の県庁前県民広場で、「戦争法案廃棄を求める緊急抗議集会」が開かれ、国際通りをデモ行進。沿道から手を振って賛同を示す通行人が多く、いつもと違う雰囲気を感じた。戦争法案に不安を抱く国民が少なくないことを実感した。

2015年6月27日リンクURL

戦後70年の慰霊の日 ③~国際反戦沖縄集会

沖縄戦では24万人余が犠牲になった。当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなったことになる。

沖縄戦最後の激戦地となった糸満市の摩文仁には、平和の礎をはじめ各県の慰霊碑が建ち並ぶが、「沖縄県の碑」と名のつく慰霊塔だけはどこにもない。
ここ「魂魄の塔」が、その役割を果たしている。

魂魄の塔

魂魄の塔

戦後、累々と野ざらしになっていた戦没者の遺骨を拾い集めて祀ったのが、この「魂魄の塔」である。戦争で亡くなった家族の遺骨が見つからなかったり、どこで死んだのかわからない遺族は、ここへお参りに来る。

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今年も早朝から夕方日が落ちるまで、線香の煙が絶えることがなかった。
今年は特に子どもたちを伴った家族連れが目立ったのは、私の気のせいばかりではないようだ。

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市民グループは、毎年、県主催の追悼式とは別に「魂魄の塔」の前で国際反戦沖縄集会を開く。

琉球讃歌と空手踊り

琉球讃歌と空手踊り

三線とうちなぁぐちで

三線とうちなぁぐちで

 

高江から

高江から

辺野古から、高江から、泡瀬干潟から、フクシマから、韓国から、ニューヨークから、志を同じくする市民のネットワークを繋げ広げる集会となる。

例年、歌あり、踊りあり、メッセージありとにぎやかだが、特に今年は戦後70年の節目の年とあって、反戦・平和への誓いも新たに、盛り上がりのある集会となった。

フクシマから

フクシマから

被曝し経済的価値を失い見捨てられた牛たち300頭の面倒を見続けているという畜産農家からの報告。「国の、フクシマ(原発)政策と沖縄の基地政策は根っこは同じ。牛たちには放射能の影響が身体に様々現れており、人間に何の影響もないというのはおかしい」と、国策を問う連帯を訴えた。

 

2015年6月25日リンクURL

戦後70年の慰霊の日 ②~みるく世がやゆら

慰霊の日の「沖縄全戦没者追悼式」では、毎年県内の小中高校生から「平和の詩」を公募、朗読する。

今年は、与勝高校3年生の知念捷君の詩が選ばれ、5400人の前で「みるく世がやゆら(いま世は平和なのでしょうか?)」と問いかけた。

 

<みるく世(ゆ)がやゆら>

平和の詩を朗読する 知念捷君

平和の詩を朗読する
知念捷君

 

平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌(りゅうか)が 私へ訴える

「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)ど宝」

七〇年前のあの日と同じように

今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終(おわ)りを告げる

七〇年目の慰霊の日

大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を

夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける

せみの声は微(かす)かに 風の中へと消えてゆく

クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます

みるく世がやゆら

「今は平和でしょうか」と 私は風に問う

花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉

戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉

九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥(おうが)する

一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った

一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死

南部の戦跡へと 礎へと

夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった

彼女のもとには 戦死を報(しら)せる紙一枚

亀甲墓に納められた骨壺(こつつぼ)には 彼女が拾った小さな石

戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った

愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を

すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う

愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように

あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと

軍人節の歌に込め 何十回 何百回と

次第に途切れ途切れになる 彼女の歌声

無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく

七〇年の時を経て 彼女の哀(かな)しみが 刻まれた頬(ほお)を涙がつたう

蒼天(そうてん)に飛び立つ鳩(はと)を 平和の象徴というのなら

彼女が戦争の惨めさと 戦争の風化の現状を 私へ物語る

みるく世がやゆら

彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が

刻まれた礎に 私は問う

みるく世がやゆら

頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい

六月二十三日の世界に 私は問う

みるく世がやゆら

戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う

気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい

しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを

伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを

みるく世がやゆら

せみよ 大きく鳴け 思うがままに

クワディーサーよ 大きく育て 燦燦(さんさん)と注ぐ光を浴びて

古のあの琉歌(うた)よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ

今が平和で これからも平和であり続けるために

みるく世がやゆら

潮風に吹かれ 私は彼女の記憶を心に留める

みるく世の素晴らしさを 未来へと繋(つな)ぐ

2015年6月24日リンクURL