知事応援メッセージ~一市民がはじめた

「普天間基地の辺野古移設に反対しているのは一部の運動家だけだ」とか
「反対は見返りをつり上げるためだ」と、一部の中央マスコミで喧伝されているそうですが…

 

先日こんな記事が琉球新報に掲載され

反対運動の現場には行きづらい、行きたくても遠くて、あるいは仕事で行けない、

そういう一般市民の間で、「これなら私にもできる」と

辺野古反対の意思表示の手段として広がりを見せています。

 

琉球新報の記事

琉球新報の記事

 

あなたも家にあるハガキに知事への応援メッセージを一言書いて送りませんか!

宛先は 〒900-8570

那覇市泉崎1-2-2

知事公室秘書課

沖縄県知事 仲井眞弘多 様

 

辺野古浜通信より

辺野古浜通信より

写真は送られたハガキの一例です。

「県外移設」で頑張っている仲井眞知事に

県民の心が伝わるメッセージを

送りましょう!

2013年4月14日リンクURL

沖縄大問題シンポへのご案内 ~東京・台東区民会館で開催

 沖縄生物多様性市民ネットワーク・ブログからの転載です。在京の皆さんに参加を呼びかけます。

 

沖縄大問題シンポ STOP! 高江・辺野古・泡瀬・大嶺
~米軍基地、公共事業から沖縄の自然と暮らしを守る~

生物多様性豊かな沖縄では、米軍基地と公共事業により、自然環境と生活環境が破壊され続けています。東村高江では米軍ヘリパッド工事の強行、名護市では辺野古新基地建設計画、沖縄市では泡瀬干潟の埋め立て工事、那覇市では大嶺海岸を埋め立てる那覇空港拡張計画が進行しつつあります。
沖縄では、公共事業と基地建設はリンクしており、このままでは米軍基地の集中からも公共事業依存からも抜け出すことができません。普天間飛行場に強行配備されたオスプレイは、市街地上空でのヘリモードや夜間飛行など協定違反が常態化しており、いずれ本土での訓練も行われることになります。
今回の沖縄大問題シンポでは、それぞれの地域の問題に関して、事業計画や環境アセスの問題点、住民の方々や支援者の活動などについて報告し、解決のために私たちができることを探りたいと考えています。
ぜひ、皆さまのご参加をお願い致します。

日 時:2013年2月23日(土)13:00~17:00(12:30開場)
場 所:台東区民会館(特別会議室)
〒111-0033 台東区花川戸2丁目6番5号(都立産業貿易センター台東館8・9階)
電話:03-3843-5391~3
東京メトロ銀座線浅草駅7番出口から徒歩約5分、東武伊勢崎線浅草駅から徒歩約5分
都営浅草線A5出口から徒歩約8分、つくばエクスプレス線A1番出口から徒歩約9分

参加費:参加費として1,000円をいただきます。
*参加申し込みは不要です。当日会場へお越し下さい。

主催団体:沖縄・生物多様性市民ネットワーク、沖縄環境ネットワーク、
NPO法人ラムサール・ネットワーク日本

後援団体:
泡瀬干潟を守る東京連絡会、JUCON(沖縄のための日米市民ネットワーク)、
沖縄リーフチェック研究会、ジュゴン保護キャンペーンセンター、日本山妙法寺、
基地のない沖縄をめざす宗教者の集い、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、(公財)日本自然保護協会

発表者:前川盛治(泡瀬干潟を守る連絡会)
安次富浩(ヘリ基地反対協議会)
伊佐真次(ヘリパッドいらない住民の会)
花輪伸一(沖縄・生物多様性市民ネットワーク)
安部真理子(公財・日本自然保護協会)
陣内隆之(ラムサール・ネットワーク日本)
ゆんたく高江、ジュゴン保護キャンペーンセンター

2013年1月23日リンクURL

エピソード~ 御万人大パレード より

サウンドパレードの前に

海浜公園のステージで民謡を歌った4人グループは

かつて一世を風靡した”でいご娘”の4姉妹。

大ヒットとなり、今でもカラオケの人気曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」は
彼女たちのデビュー曲でもある。

国内で唯一地上戦を経験した沖縄。
沖縄を守りに来たはずの日本軍の兵士より
一般市民のほうが 遙かに多く砲弾の犠牲となった。

あの戦争を生き残った沖縄の人々は、
みんな「艦砲射撃の食い残し」というのがこの歌の
タイトルである。

この歌は、でいご娘の父・比嘉恒敏さんの作詞・作曲。
戦争で家族を全部失った悲しみと、平和への願いを表現した。
当時、この歌を聴いた県民の多くが
「まるで私のことを歌っているみたい!」と、戦場で傷つき死んでいった肉親を思い
戦後の極貧の中、死にものぐるいで働き、苦労の末にやっと家族を築いてここまできた                    自らの体験を思い起こして涙した。

私の母も、カラオケで必ずこの歌を唄う、涙をながしながら…。

 

美しいステージ~その陰に…

美しいステージ~その陰に…

 

この歌が生まれたいきさつもすごい話だが、

エピソードの本題はその後の出来事である。

彼女たち4姉妹・でいご娘が
なぜ、オスプレーの配備、米軍人犯罪糾弾の「御万人大行動」の
ステージに上がったのか!

実は、この歌をつくった彼女たちの父・比嘉恒敏さんは
酔っぱらい運転の米軍兵士が運転する車にひき逃げされ亡くなった。

しかも、犯人は逮捕され、裁判にかけられたにも係わらず
一銭の賠償金も支払うことなく、米本国に逃げ帰り無罪放免となった。
今から、39年前のことである。

 

この曲がヒットした頃は

まだ若すぎて、真にこの歌の持つ意味を
理解していたわけではなかったと語る4姉妹。

戦争で家族を全部失い、自らの命さえも米軍に奪われた父の無念を改めて感じ、この歌い継ぐ活動を再開した。

いまなお、同じような事件が多発する沖縄、

その背景に、なんでもアメリカのいいなりで
まるでいまだに米軍占領下のような日本国の真の姿がある。

 

28日には、酔って那覇の住宅街で

民家に忍び込んだ米兵が逮捕され、

29日には、酔っぱらい運転で一報通行の道路を逆走して

民間人に怪我を負わせた海兵隊員が逮捕されたている。

2012年12月30日リンクURL