サウンドパレードの前に
海浜公園のステージで民謡を歌った4人グループは
かつて一世を風靡した”でいご娘”の4姉妹。
大ヒットとなり、今でもカラオケの人気曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」は
彼女たちのデビュー曲でもある。
国内で唯一地上戦を経験した沖縄。
沖縄を守りに来たはずの日本軍の兵士より
一般市民のほうが 遙かに多く砲弾の犠牲となった。
あの戦争を生き残った沖縄の人々は、
みんな「艦砲射撃の食い残し」というのがこの歌の
タイトルである。
この歌は、でいご娘の父・比嘉恒敏さんの作詞・作曲。
戦争で家族を全部失った悲しみと、平和への願いを表現した。
当時、この歌を聴いた県民の多くが
「まるで私のことを歌っているみたい!」と、戦場で傷つき死んでいった肉親を思い
戦後の極貧の中、死にものぐるいで働き、苦労の末にやっと家族を築いてここまできた 自らの体験を思い起こして涙した。
私の母も、カラオケで必ずこの歌を唄う、涙をながしながら…。
美しいステージ~その陰に…
この歌が生まれたいきさつもすごい話だが、
エピソードの本題はその後の出来事である。
彼女たち4姉妹・でいご娘が
なぜ、オスプレーの配備、米軍人犯罪糾弾の「御万人大行動」の
ステージに上がったのか!
実は、この歌をつくった彼女たちの父・比嘉恒敏さんは
酔っぱらい運転の米軍兵士が運転する車にひき逃げされ亡くなった。
しかも、犯人は逮捕され、裁判にかけられたにも係わらず
一銭の賠償金も支払うことなく、米本国に逃げ帰り無罪放免となった。
今から、39年前のことである。
この曲がヒットした頃は
まだ若すぎて、真にこの歌の持つ意味を
理解していたわけではなかったと語る4姉妹。
戦争で家族を全部失い、自らの命さえも米軍に奪われた父の無念を改めて感じ、この歌い継ぐ活動を再開した。
いまなお、同じような事件が多発する沖縄、
その背景に、なんでもアメリカのいいなりで
まるでいまだに米軍占領下のような日本国の真の姿がある。
28日には、酔って那覇の住宅街で
民家に忍び込んだ米兵が逮捕され、
29日には、酔っぱらい運転で一報通行の道路を逆走して
民間人に怪我を負わせた海兵隊員が逮捕されたている。