朝6時、ゲート前に到着するあたりから雨が降り出した。
ゲート前での工事車両を止める為の座り込みの行動が始まるころには
土砂降りの雨。
雨の中での機動隊との攻防になった。
今日は、数名の外国の若者たちの姿が目立っていた。
アメリカ、イタリア、イギリス、フランスなどからの留学生だという。
アメリカ人の彼は
「今日は貴重な体験をさせていただいてありがとう。
アメリカ人の僕を排除することなく、受け入れてくれたことに感謝します。
ここはアメリカの基地だけれども、アメリカにも武力ではけっして平和は守れないという、みなさんと同じ考えの人たちもたくさんいます。
今日皆さんと経験したこと、沖縄の人たちが、米軍基地があることで辛い思いをしていることを、アメリカの友人や周りの人達に伝えます」
アメリカ人の父親と日本人の母親を持つ彼(右側)は
「東京の新聞などを読んでいて、危険な普天間がなくなり、辺野古に移るなら
いいのではないかと思っていた。しかし普天間の代わりなどではなく、
さらに大きな、機能をレベルアップした強力な基地ができることが分かった。
自分にできることとして、辺野古の本当のことを知らない人たちに伝えて
一緒にまた辺野古へ来たい」と、それぞれ思いを語った。
毎週金曜日にやってくる読谷村島ぐるみ会議のみなさんからの差し入れは鉢植えの花。名前は分からないという。
<辺野古今月の琉歌>
集まとるしんか 辺野古浜居とおてぃ
逢ちゃりば兄弟 肝やひとぅち
(集まったみなさんは 辺野古浜で出会ったきょうだい 心はひとつ)